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巻頭エッセイ


第284号 【パリさん】:カラーローズ—ピンクの心理

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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:カラーローズ──ピンクの心理
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ぱりさんのカラーローズ。

カラーローズを人間心理の原型の誕生物語として考える視点は、すばらしい洞
察だと思います。

色の言語は、その洞察があってはじめて意味を持ってくるもののように思われ
ます。

というのは、人間はエネルギーでできていて、その思考や感情、人間心理やパ
ーソナリティも、ある意味で、すべてあるエネルギーのパターンとして見るこ
とができるからです。

そして、色はエネルギーの波動が目で見える形態となっているものなので、そ
の人間心理の原型が、色のパターンとして理解できるというのは筋が通る考え
だと思われます。

そう考えると、どうしてオーラソーマのイクイリブリアムの色とりどりのボト
ルが、内面の魂を映し出す鏡となりうるのかということも納得がいきますね。

今回は、ピンクがテーマです。

ピンクはオーラソーマの色の中でも特別な意味を持っています。

ピンクは、カラーローズでいえば、レッドに光が入った色なので、ペールレッ
ドとでもいうべき色ですが、そうは言わずに「ピンク」という特別な名前で呼
んでいます。

マスターボトルに対応するクイントエッセンスには、すべてローズクォーツの
ピンクのエネルギーが含まれているともいわれています。つまりマスターには
クリヤーな意識(瞑想)のエネルギーと、ピンクの慈愛のエネルギーが含まれ
ているということでもありますね。

ピンク色のボトルは、オーラソーマのイクイリブリアムでも多くて、21本ほ
ど数えられます。

http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/pink.html

それだけ世の中に愛が必要とされているということでもありますし、かつまた
オーラソーマカラーケアシステムはピンクの愛をもたらすシステムである、と
も言えます。

そこで、ぱりさんがピンクにもたらしているメッセージは・・・

「あなたを愛します、あなたは私だから」

まさに愛とはそのようなものですね。

ですから、まず自分自身を愛するということからはじめることが大切だとも言
えます。

では、ぱりさんのカラーローズ、ピンクをお楽しみください。

                                尚 記


        …………○…………○…………○…………


☆カラーローズ──ピンクの心理☆

ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者的な立場か
ら眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”に見立て
て、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでお付き合いいただければ、案外、面白
がっていただけるかもしれません。

これまで「カラーローズ」を、人間心理の“元型”“酵母の種”の誕生物語と
して眺めてきました。

そしてカラーローズの“色相環”(12方位)を一周しました。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/

つまり、人間心理の“元種”の誕生をこんなふうに見てきたわけです。

12時:“独存の平安”のなかに安らぎ、まどろむ根源色「ブルー」

 4時:そこから個別としての認知と体験を夢見て飛び出した「イエロー」

 8時:変化する顕現世界における“永遠の生”を熱望する「レッド」

 2時:混沌とも見える顕現世界で見晴らしと位置確認を求める「グリーン」

10時:形ある制限に馴染めず、ひたすら超越を求める「ヴァイオレット」

 6時:多様性が可能な顕現世界の大儀、“創造の賛歌”を唱う「オレンジ」

 7時:“無償の愛”で顕現世界の継続・維持に献身する「コーラル」

 5時:あくまでも依存を嫌い、存在の根拠を自らの中に求める「ゴールド」

 3時:全体との調和のなかに個を確立しようとする「オリーブグリーン」

 1時:子供のように直感を信頼して、その伝播を楽観する「ターコイズ」

11時:明晰性と果断のゆえに顕現世界での役割に悩む「ロイヤルブルー」

 9時:あらゆる欲望の妥当性が見えて新たな欲望を紡げない「マジェンタ」

さて次は「ピンク」というところで、“光と闇”の表現の明示化を試みざるを
えなくなり“カラーローズの卵”を発明したのでした。

たしかにこの“カラーローズの卵”なら、ポジティブな人間心理とネガティブ
な人間心理も位置を区別して表現できます。

というのは、“ネガティブな心理”と言っても、それは単に元の“ポジティブ
な意図”である人間心理の、迷子になった姿にすぎなかったからです。

これまで見てきたように、あらゆる「人間心理」(つまり「色の心理」)は、
どれもとても真っ当な意図と願い(=欲望)のゆえに誕生しています。

しかし、それらのどの意図(欲望)も、じつは顕現世界で多様性を個別に体験
したいとう、「イエロー」の意図(DNA)を引き継いでいます。

すべては、現象世界のなかで個々の多様性を自分で体験したいという、とても
無邪気な「イエロー」の願いから始まった心理劇です。

でも“現象世界で多様性を個別に体験する”ということには、とても危険な、
いわば“子供の火遊び”のような側面があります。

まず、現象するには「識別」が、またそのためには「変化」が不可欠です。

完璧に不動の透明の鏡のようであっては、存在を認識できないからです。

「生命」を“海”に喩えるなら、それが目に見える世界として現れるためには、
いわば表面が“波立た”なければなりません。

むろん、個々の“波”はたんなる一時的な“現れ”にすぎません。

波の“頂点”と“底辺”とは、(識別に必要な)変化の振幅を定義するための
単なる二極にすぎません。

“頂点の波(たとえば、勝者)”と“底辺の波(たとえば、敗者)”というよ
うな存在が個別にいるわけではありません。

一瞬前に押し上げられて“絶頂”となった水は、次の瞬間には“奈落の底”に
落ちなければならないわけです。

でも「イエロー」は、その“勝者”を体験してみたかったんですよねぇ。

しかし“勝者”となりたかった「イエロー」は、そのために“敗者”となるこ
とも受け容れなければなりませんでした。

とはいえ、子供が遊具の「シーソー」を楽しめるのはごくわずかの間です。

「シーソー」では、高く上がるためには、次に低く降りなければならないない
ことがあまりにも“目に見えている”からです。

それではあんまりチャチな遊びで、本当の“勝者”のような気がしない。^^;

では、本当の“勝者”、本当の“成功”を、現象世界で体験(演出)するには
どうしたらいいのか? (-_-;)

ここでどうしても欲しくなるのが……「分離の幻想」という劇薬です。(>_<)

おそらく、無邪気な「イエロー」にそこまでのつもりはなかったでしょう。

でも、顕現のなかで“自分で体験する”には、絶えざる変化のなかに「個」を
実現し、それが自分の体験だと「識別」できる必要があります。

その至難とも言える「イエロー」の願いを我が身に引き受け、自ら実現したの
が「レッド」の“自己愛”でした。

おそらく、永遠の変化というあやかしに満ちた生命世界を始動した「レッド」
は、秘かにその“劇薬”に手を出さなければならなかったでしょう。

生きているのは……実際は、ただひとつの<永遠の生命>です。

それだけが永遠に存在する者、そして唯一存在する者です。

<生命>とも……<永遠>とも……<今>とも言うかもしれません。

それは、現前するすべてに命を吹き込む<気づきの光>とも言えるでしょう。

唯一それだけが……永遠に生きているものです。

しかし「レッド」が意図した、

           「永遠に、わたしは生きる」

とは、“永遠の変化”である現象世界の中で“生きる”ことでした。

現象世界の中で、形あるものとして、“生きる”ことでした。

しかし、生きている者が<ひとつ>でしかないことが最初から自明に見えてい
たのでは、現れのなかに「個別」を実現することはできません。

現象世界のなかで「個」になるには、じつは生きているものが<ひとつ>であ
ることが……大なり小なり“見えなくなる”必要があるわけです。

「レッド」の“自己愛”とは“自分の形(身体)”をもちながら生きることで
すが、それは現れのなかに“自分以外”を創造することでもありました。

ところで、“自分の形(身体)”をもっただけでは、じつは個別を体験するこ
とはできません。

体験という“文脈”を紡ぐことができないからです。

たとえば、主人公の部分だけが映っていて、まわりが全部白抜きになった映画
を想像してみてください。(*^_^*)

こんな映画を見て感動することはできませんよね。(^_-)

主人公の形(身体)だけでは、ドラマ(体験)を作れないのです。

周囲の環境や、他人が必要で、それがなければ体験の文脈を紡ぎ出せません。

(このことは、周囲の環境や他人が存在しなければ、じつは“自分”そのもの
 すら存在できないことを暗示しているのですが……。)

“自分で個別の体験したい”と言っても、それはやはり、周囲の環境や他人が
存在しなければ不可能なことだったのです。

スポットライトを浴びた“勝者”になるためには、かならず背景に“敗者”が
いなければなりません。

もし、この“勝者”とその“敗者”が同一人物であることが自明であったら、
はたして、そのドラマ(体験)に感動することができるでしょうか?

おそらく、それは、言うにやさしく、じつは不可能なことでしょう。

やはり、顕現世界のなかで“自分”を体験するには“他人”が必要なのです。

“他人”とは“自分”ではない存在、“自分”とは分離した存在の意味です。

実際には、生命世界のなかに“分離した存在”はありえないのに……です。

現象世界とは、そのような虚偽と矛盾に満ちた世界です。

“自分で個別を体験したい”という「イエロー」の願いには、もともとそのよ
うな矛盾と虚偽が潜んでいたわけです。

しかし、たとえ自己矛盾していようとも、少なくとも、われわれ人間にとって
現象世界は起動しています。

そこで、“自分”ではない“他人”を現出させるにはどうしたらいいか?

相手が“自分”であることが、わからないようにするしか方法はありません。

それそ実現する手段が、<気づきの光>を操作的に落とすという方法です。

このことは、“自分”の意図が即座に環境に反映されない、という手段で実現
されます。

物理次元とは、そのような世界なのです。

ある意味で、物質とは“思いの不良導体”なのです。

ですから、言い方によっては、人間は濃密な“物理次元”で生きることに挑戦
した天使のようなものだと言えるかもしれません。

自分の赤ん坊時代などあまり思い出せないものですが、赤ん坊は自分の思いが
すぐに実現しないと、むずかって泣いたり、癇癪を興したりするものです。

もしかしたら、“自分の思いがただちに実現しない”ということに、慣れてい
ないのかもしれませんね。(^_-)

「シュタイナー学校」では、物理次元での物事の実現に“意思の持続”が必要
であることを教えるために、「フォルメン」や木彫の授業があそうです。

というわけで、人間経験の長いみなさんはよくご存知ですが、“物理次元”と
は生命体の“思い”が瞬時には実現しないところです。

“思いが瞬時に実現する”のは、われわれが身近に知っている体験では、眠っ
ている間の「夢」なのかもしれませんね。

もっとも、その「夢」のなかでは、事象の輪郭もそれほどはっきりしたもので
はないわけですが……。

これを要するに、“物理次元”というのは、事象の輪郭がはっきりしていて、
しかも生命体の“思い”は瞬時には実現しないところ……ということです。

こういう世界のなかに、いわば<気づきの光>ひとつを命綱にして、天使たち
が降りてくるところを想像してみてください。

しかも、その上さらに、<気づきの光>ひとつが自分の命綱であることさえ、
忘れるというのが“ゲームの規則”なのです。

ある種の微かな“内的直感”があるだけです。

そのほかはすべて、降りてきた世界で、まわりから教えられるままに蓄積した
知識(選択肢)を使って、進むべき道を決断しなければなりません。

個々の天使がどれほどの疑心暗鬼に襲われるか想像にあまるものがあります。

ここでは誰もが、自分の<気づきの光>を使おうとするよりは、まわりの人た
ちから学び、それを真似しようとするのです。

しかし、誰もがそうしたらいったいどういうことになるか?

その世界は、自前の光を使っている人たちのほんの微かな<気づきの光>でし
か照らされていない世界になるでしょうね。(>_<)

だって、誰もが自分が持ってきた命綱である自前の<気づきの光>を、充分に
は使おうとしないわけですから……。

お釈迦様は、このことを「自燈明」という言葉で示されたわけですよね。

<気づきの光>を使えば、“自分”と“他人”とは単なる形態上の区別であり、
そこに流れている命が<ひとつのもの>であることはわかります。

はじめてテレビで暴力場面を見た幼児は、かならず泣きます。

目の前で暴力を受けている人と自分の区別がまだ存在しないからです。

しかしその子も、やがては身体の輪郭を自他の明確な区別として識別すること
をマスターし、自他の区別を使い分けられるようになります。

そしてやがては、確固とした自他の区別のある世界を受け容れるわけです。

しかし、そういう世界に、ときとして、圧倒的な<気づきの光>を持って降り
てくる存在たちがあります。

その人には、他の人たちから見ても、何とは明確にわからないまでも、たしか
に“何か”違っているところがあるのが感じられます。

一言で言うなら、その人は他人の真似をしようとはしていないのです。

そして、自前の<気づきの光>をつかって状況を照らし出し、自らの進む道を
決断しているようなのです。

彼の<気づきの光>が照らし出しているものとは何でしょうか?

それは……、

            <すべてはひとつです>

という<気づきの光>が自明に見ている真実です。

物理次元に降りてきた天使たち、そして自前の<気づきの光>を使うことに臆
した天使たちにとって……見えなくなっていたことはそれです。

この<すべてはひとつです>という真実が見えなくなる程度は、広大に広がっ
ています。

「人間心理」のインデックスである“カラーローズの卵”が、内部的に明らか
な明度差の段階を包含しているのはそのことの反映です。

つまり、個々の「人間」は、いわば様々な“明るさ”(を自ら放射し、そ)の
なかで生存しているとも言えます。

それが、「人間心理」の多様性を生み出す根本原因なんでしょうね。

しかし、どれほど多様な「人間心理」が生み出されたとしても、その心理を生
む原因とも言える“見えなくなった真実”は、たったひとつです。

            <すべてはひとつです>

この物理次元に降りて、しかもこれがつねに見えている“光量”を維持できる
方々のことを「マスター」と言うのかもしれません。

「マスター」とは、<気づきの光>の投光レンズが自己同化の埃で汚れていな
い方々なのかもしれません。

<気づきの光>も出力全開、本来の“光量”で輝き出せるのでしょう。

その場合は、われわれ人間には重要な区切りと見えていた身体の輪郭などは、
もしかしたら境目がはっきりしなくなるのかもしれません。

その方たちの世界への入り口のいわば代表格が「ピンク」なのだと思います。

「マスター」たちの世界では、個別のエネルギーは識別はできるでしょうが、
境目ははっきりしたものではないのだろうと思います。

マスターたちが、一定程度以上近づけば、それぞれの身体は互いに重なり合っ
しまうのではないでしょうか。

だって、

            <すべてはひとつです>

ということが、つねに自明で見えているわけですから……。

「ピンク」がそういう世界への代表的入り口なのだとしたら「ピンクの心理」
を次のように表現してみるのはどうでしょうか。

         「あなたを愛します、あなたは私だから」

「レッド」の“自己愛”

           「永遠に、わたしは生きる」

も、ある意味で無条件のものでしたが、ただ“わたし”の意味がとても制限さ
れていたのかもしれません。

「ピンク」には「レッド」の“自己愛”に<気づきの光>が加わっています。

            <すべてはひとつです>

ということが、自明で見えているわけですから。

         「あなたを愛します、あなたは私だから」

次に機会があったら、今度は最後に残った「クリアーの心理」の推測を楽しま
させていただくかもしれません。

いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定された見解では
なく、「オーラソーマ」がゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」と
いう素晴らしいツールに触発された、まったく自由な立場からの連想です。

お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

                                pari 記


        …………○…………○…………○…………

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