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巻頭エッセイ


第525w号 【パリさん】:カラーローズ—“物語中毒”

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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:“物語中毒”(分離幻想) (2014,7/23)
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オーラソーマの基本を読み解く鍵は、このカラーローズとチャクラ
マンのなかにあるといっても過言ではないと考えています。

カラーローズ↓
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/

チャクラマン↓
http://aura-soma.jp/basic/dtl_166.html

この二つの図を読み解く鍵がわかれば、オーラソーマボトルの意味
やメッセージ、その効能がすべてわかってしまいます。

ちょっと門外漢的な立場ではありますが、そのカラーローズを読み
解いていくヒントのひとつが、この「ぱりさんのオーラソーマ」

オーラソーマでは、1番目に選んだボトルは魂のボトル(ソウルボ
トル)というふうに言っています。

魂も、この世にまた生まれてくるには、ある理由がなければなりま
せん。

なんらかの学びの課題、人生の使命や目的、ぱりさん流に言えば、
ある「欲望」があって、この世に生まれてきているのでしょう。

自分は、この人生にどんな欲望を持って生まれ、どんな物語をこの
人生で創りだしているのだろうか?

カラーローズを前に、ちょっと立ち止まって考えてみるのもいいか
もしれないですね。

それでは、【ぱりさんのオーラソーマ】:“物語中毒”(分離幻想)
をお楽しみください。

                           尚 記


       ………○…………○…………○………


ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでお付き合いいただければ、
案外、面白がっていただけるかもしれません。

前回、元々現象世界に何の期待も持っていなかった“赤ん坊”は、
いわば「ビギナーズラック」の状態だったというお話をしました。

赤ん坊は何も望まなかったからこそ、大人たちの賞賛を勝ち得る
ことができたのでした。

ところが赤ん坊はその理由を知らない。

だから大人たちから褒められれば、それは“自分”がしたことの
ゆえに褒められるのだと勘違いするのです。

そして“自分”が努力すれば、もっと褒められ、もっと気持ちが
良くなり、「幸せ」になれるように思うのです。

そうやって赤ん坊は、うかうかと現象世界に引き出されます。

はじめて鏡を見たときはまったく知らなかったその形が、“ボク”
であり“ワタチ”なのだと知るのです。

ある種のネイティブの世界では、「鏡」は特別の時でなければ使わ
れない道具だそうです。

普段の日常生活で鏡などは使わない。

きっと彼らは、「鏡」が“エゴ”の自覚を強化して、通常の生活に
不必要な騒音を醸し出すことを知っているのでしょう。

われわれいわゆる文明人は、素朴な鏡以外にも、“自分”と“他人”
を映し、比較させ、強調する、たくさんの鏡を発明しています。

姿形をスクリーン上に映しだして美醜を強調し、その他たくさんの
指標を使って、個々人を識別し、比較させようとします。

それもこれも“自分”と“他人”を切り離し、分離させ、比較し、
競争させて、新たな物語を紡ぎだすためです。

そして、悲しいことにと言うか、辛いことにと言うか、人間は驚く
ほど素直に、簡単に、その物語を信じこみます。

なぜか?

なぜなら、それが“自分”が生まれてきた世界のありようだからで
す。

生まれてきたときからそうであるものを、いったい誰が否定できる
でしょうか?

「これがあなたよ」と言われて、その“あなた”を疑うことなど、
誰にできるでしょうか。

「幸せ」から現象世界に移住するこの途方もない大ジャンプを、人
間はだいたい二歳から二歳半のころに完了します。

そしてその後は、ひたすらその世界のマナーを覚え、習熟し、順応
して、その世界のなかでの形ある“幸福”を追求するのです。

どうしてなんでしょうね?

なぜ赤ん坊の時と同じく、何も願わずに、ただ幸せで、じっとして
いることができないのでしょうか? (?_?)

なぜなら、どういうわけか、現象世界に移住してからは、人は何か
かにかの理由で幸せではないからです。

赤ん坊のときにはあったあの幸せが、こうして現象世界に移住した
今となっては、なぜかもう見当たらない。

幸せになるために、いつも何かを求めていなくてはならないような
のです。

世界中の人間が、いっせいに“幸せ”を求めてうごめいているとこ
ろを想像すると、ちょっと壮観ですね。(*^_^*)

でも、どういうわけか、赤ん坊のように、ただ機嫌よく何もしない
でいられる大人の人間って、いないんです。

どうしてなんだろう? (-_-)

なぜだと思いますか? (@_@)

大人ははなぜ、現象世界の動きに関係なく、いつもただ機嫌よく、
何もしないでいることができないんでしょう? (?_?)

そして、生きる心配や、生きられなくなる心配や、より良い人生を
送る心配など、心配ばかりしなくちゃならないんでしょう?

人間の最終ゴールなんて、ほんとは最初っから、わかってるじゃな
いですか。(^_-)

どのみち、身体が滅びて、火葬場に行くだけですよね。(*^_^*)

そんなわかりきったゴールのために、途中のこの要らざる心配は、
いったい何なんでしょう。

それもこれも、じつは理由はただひとつです。

赤ん坊は、その身体が“自分”だと知らない。

大人たちは全員、この身体が“自分”だと信じている。

赤ん坊と大人の違いは、たったそれだけです。

赤ん坊と大人の違いがそれだけですから、大人たちが“幸せ”を求
めてうごめく理由もそれだけです。

大人たち全員のこの“落ち着きのなさ”は、ただただそこに原因が
あります。

大人の人間にとってはこの身体が自分です。

現象世界のなかに生きているこの身体、そしてその身体にまつわる
記憶をつないだもの、つまり物語が自分なのです。

その身体にまつわる物語は、過去の記憶を参照し、未来を想像し、
一瞬も休まることなく、現在の現れを解釈しつづけています。

そしてわれわれ大人は、その絶え間なく浮上してくる想念を、自分
だと思い込んでいるのです。

赤ん坊の幸せは、現象世界に住んでいないことにありました。

赤ん坊にないのは、現象世界を“自分”の都合に合わせて解釈する
その【解釈構造体】、つまり“自分の物語”でした。

この“自分の物語”こそが、人間たちを幸せに向けて駆り立ててい
る“元祖不幸の元”みたいなものです。

でも、この“自分の物語”を願ったんですよね。

【何か】に成りたかったんです。

そして、この【何か】に成るための“欲望の物語”が封じ込められ
ているのが、オーラソーマの「カラーローズ」なんです。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/

この「カラーローズ」には、【何か】に成ることを願った欲望と、
「二元性の原理」に基づく対極の欲望がすべて網羅されています。

そしてすべての欲望を統合すると、光の「加法混色」によって、す
べてが空無(=光)に帰してしまうことも示されています。

すべては公然の秘密なんです。

毎週一本一本のボトルを取り上げ、そのボトル解説の言葉から抽出
して「オーラソーマ辞書」という記事を書いています。
http://ameblo.jp/aurasoma-unity/theme-10017722959.html

すっとこの記事を書きつづけることで、否が応でも見えてくるもの
があります。

何かを“願う”ということの恐ろしさとでも言うのか。(-_-)

古からの覚者たちはこぞって、「あなたは身体ではない」と言って
いらっしゃるようです。

身体とは分離した何かを意味します。

つまり現象世界のなかで“分離独立した”“定義を担いうるもの”
という幻想です。

言い換えると、物語を担うことができるもの、です。

それがなぜ幻想かといえば、現象世界のなかには“分離独立した”
ものは現象できないからです。

たとえば、われわれ人間の大人は、全体から分離した“自分”がい
るという幻想をもっています。

その根拠として、自分にはこの分離した身体がある、という感覚が
あるからです。

ところが、そういう“自分”は、じつはこの身体を生存させるため
のいかなる制御機能も統括したことがありません。

食べた栄養物の消化吸収を管理した覚えもないし、血液を身体中に
還流させるように計らった覚えもない。

爪を伸ばした覚えもなければ、髪の毛を伸ばした覚えもありません。

もし呼吸機能を“自分”で制御しなければならなかったとしたら、
とっくのとおに死んでいたでしょうね。(^_-)

呼吸用の空気を用意した覚えも、地球にエネルギーを注ぐ太陽を準
備したり、設定した覚えもありません。

した覚えがあると言ったら、自慢と、落ち込みと、心配……くらい
かな。(^_-)

まあ、“自分”という独立した実体があると想像しているといって
も、実際はその程度なんです。

でも、しっかり欲をかいて、自分が心配しなくちゃ幸せにはなれな
い、とか思うんですよねぇ。

まったく、自惚れというか、面白い人というか……。(-_-)

(*^_^*)

あ、赤ん坊は、この幻想から解放されています。

でも、その特権的な生得権の価値を自覚していないから、気の毒な
大人たちの言うことを聴いて、物語のなかに入ってくるのです。

そして身体の安寧と快楽と栄光を願って、あくせく奮闘しはじめる
というわけです。

誰だって、この身体がいつか滅びるくらいは知っているのに。

でも、身体をどこまでも生かすことが無理でも、だったら、できる
ことなら物語として生き延びたい、とか思うんですよね。

これが現象世界の一部に自己同化した幻想の生き残り戦略です。

人間の栄光と悲惨のすべてを包摂するこの病気に名前をつけるとし
たら、きっと“物語中毒”がピッタリかもしれませんね。(^_-)

「カラーローズ」の根本色「ブルー」から「イエロー」が飛び出し
たときの、その願いこそが“物語”の創造だったでしょう。

われわれってドラマが好きですものね。

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこ
へ行くのか』( http://p.tl/0WWA )。(-_-)

実際、この旅はどこへ向かっているのでしょうね。^^;;

次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。

いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定され
た見解ではありません。

「オーラソーマ」がゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」
という素晴らしいツールに触発された、まったく自由な立場からの
連想です。

お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

                          pari 記


       ………○…………○…………○………

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