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巻頭エッセイ


第794号 【パリさん】:同時両端:コーラル・ターコイズ極

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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:
         同時に両端を見る「コーラル:ターコイズ極」(2017,11/8 水)
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パリさんの定義によると、

「コーラル」 :育みたい、守りたい
「ターコイズ」 :全智・全能でありたい

「コーラル」は、自分が養い育てる生命が、その願いを
無にせず、未来に生命を輝かせてくれることを願ったのです。

「ターコイズ」の全智・全能でありたいという願いは、現象世界で
の幸福の実現を託された意識の位置の願いです。



あなたの内のコーラルとターコイズがバランスを求めているのかも
しれませんね。

幸せはその中に秘められているようです。


それでは、【ぱりさんのオーラソーマ】:同時に両端を見る
「コーラル:ターコイズ極」を、どうぞお読みください。

今日もすてきな一日を!

                           尚 記


       ………○…………○…………○………


ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでおつきあいいただければ、
案外、おもしろがっていただけるかもしれません。

「カラーローズ」は人間心理のパノラマです。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/

ただ、ここでいう人間心理とは、具体的な喜怒哀楽のことではあり
ませんでした。

「カラーローズ」でいう人間心理とは、そのような人間感情を味わう
ための“体験世界を願ったその思い”の元型のことです。

これまで一次色と二次色を対象とする3種類の“願いの両端”を
見てきました。

「ブルー」の願いとは、独り在ることに安らいでいることです。

その“独存”の願いをあえて別の言葉で表現するなら、「一体性」
とか「全体性」といった言葉にも置き換えられるでしょう。

すべてが自分であり、自分しか存在しないのが自明であるなら、
そもそも自分という観念そのものが発生しないでしょう。

名前をつけようもない唯一のものが、ただ在るだけです。

ただこの「ブルー」という意識の位置は、そこに一点「私は在る」
という観念が発生した位置とも言えます。

この「私は在る」という根本観念を根拠に、ほかのすべての意図が
そこから発生するのです。

そこから「私」の体験を望む「イエロー」の意図が生まれ、さらに
はその体験の場を創造する「レッド」の意図が生まれます。

その三原色の意図が揃った瞬間、瞬く間にその反響としてそれぞれ
の対極に3つの二次色の意図が生まれます。

なぜなら、その体験の場(=現象世界)は認識されなければならない
からです。

認識されるということは、想像以上の厳密な構造を要求しました。

それが「二元性の原理」と呼ばれるものです。

つまり、“何か”が識別されるためには、その“何か”ではない
ものが、どうしても必要になるということです。

「二元性の原理」とは、“何か”を識別(=創造)することは、
同時に“何か”でないものを創造することだという原理です。

意味が通じましたか? (^^;)

何かを「美しい」と言うためには、「美しくない」ものが存在する
ことを前提にしなければならない、ということです。

「ブルー」「イエロー」「レッド」の3つの願いが起動して実現した
現象世界は、この「二元性の原理」に支配されます。

だからこそ、それぞれの願い自体も、その対極の願いを必要とし、
それらを励起してしまうのです。

それらの対極はすべて、知覚される以前は、たんなる潜在可能性
として、たったひとつの存在(一体性)のなかに溶けていました。

つまり、もともとはひとつのものなのです。

だから、その意図の対は同時に両方は現象できないのに、相手なし
には互いに存在できないという不思議な性質があります。

私たちが住むこの現象世界は、そのような相互矛盾した意図によって
起動され、支えられているようです。

とはいえ、現象世界の根拠をたずねてその意図を確かめにいくと、
たしかにその願いは、そこに確認できます。

でも、両方の意図が顔を揃えたところを確認したいと思っても、
それは無理なんです。

シャイというか、なんというか。

というか、まあ一人二役をやっている役者に、両方の役で同時に
出てくださいとねだるようなもので、無理なんでしょうね。(^_-)

現象世界ができてしまえば、そんなことはお茶の子さいさいですが、
まだ現象世界の普請中ですから、舞台裏ではこうなのです。

この世界は一種の幻とも言えます。

でも私たちは、この現象世界の存在を疑えなくなりました。

何しろ、私たち自身がこの現象世界のなかにいるので、それを疑う
ことは自分の存在を疑うことだからです。

かくて、三原色で最小限度の足場を造った現象世界は、二次色で
その意図の両端を支えて最小限度の輪郭を調えたわけです。

ここで、あらためて一次色と二次色の意図を整理すると、

●「ブルー:オレンジ軸」の両端の願い

「ブルー」 :独存し、安らぎたい
「オレンジ」 :帰属し、奉仕したい

●「イエロー:ヴァイオレット軸」の両端の願い

「イエロー」   :知りたい、体験したい
「ヴァイオレット」:脱出したい、超越したい

●「レッド:グリーン軸」の両端の願い

「レッド」 :生きたい、貫徹したい
「グリーン」 :見晴したい、受け容れたい

各軸の両端の願いは、たしかに相互矛盾していますが、でも個々の
願い自体の真摯さは疑えません。

現象世界の存在は、この一次色と二次色という6つの願いによって
実現しました。

この先、それら6色の間に兆した色の願いは、現象世界が存在する
という前提のうえで芽生えた、さらに微妙な願いです。

ですから、これから取り上げる三次色の欲望対は、一・二次色の対
の場合ほどはその相互排除性を明確には表さないでしょう。

あくまでも、現象世界の矛盾を個々に再調整しようとする意図の
対だからです。

今回は「コーラル:ターコイズ軸」の両端の願いを確認します。


      【カラーローズの欲望・願いの配置】

              ◎←ブルー           
            独存し、安らぎたい         
ロイヤルブルー→○     ・     ●←ターコイズ   
  真理・真実を知りたい        全智・全能でありたい
         ・     ・     ・         

          ・   ・   ・           
ヴァイオレット                        
   →◎      ・  ・  ・      ○←グリーン
脱出したい、超越したい       見晴したい、受け容れたい
      ・                ・       
        ・   ・ ・ ・   ・         
          ・         ・           
マジェンタ       ・・・・・     オリーブグリーン
  →○ ・ ・ ・ ・ ・ ○ ・ ・ ・ ・ ・ ○←   
無条件でありたい    ・・・・・      調和したい  
          ・        ・           
        ・    ・ ・ ・   ・         
      ・                ・       
レッド→○      ・  ・  ・      ◎←イエロー
生きたい、貫徹したい          知りたい、体験したい
          ・   ・   ・           
                              
         ・     ・     ・         
   コーラル→●           ○←ゴールド    
  育みたい、守りたい   ・    豊かで、自立したい

              ○←オレンジ
            帰属し、奉仕したい         


ここでの両端の色は、以前「コーラル:ターコイズ軸」で取り上げた
のと同じターゲットです。
http://www.aura-soma.co.jp/newsletter/backnumber/dtl_1113.html

上の図では、この両端の色の願いを、

●「コーラル:ターコイズ軸」の願い

「コーラル」 :育みたい、守りたい
「ターコイズ」 :全智・全能でありたい

としてみました。

それぞれの願いを見るかぎり、この両端の願いの間にどんな矛盾が
隠れているとも思えません。

それぞれ、この現象世界を構成する至極当然の願いと思われます。

唯一の手がかりは、「コーラル」と「ターコイズ」2色を加法混色
すると、無色透明になって色として消えることだけです。

なぜなら、この2色の三原色要素を加えると、「ブルー」「イエロー」
「レッド」を色相要素を等分に含んでいるからです。

だから「コーラル」と「ターコイズ」を加法混色すると、それは
ひとつの願い(=色)にはなりえず、雲散霧消してしまいます。

この2色は、相互に相殺しあうエネルギーなのです。

その前提でこの2色の願いを見直してみると、やがてこの2色の間
にある微妙な矛盾が見えてきます。

この両端の願いは、現象世界に“時間”を持ち込むようです。

「コーラル」の願いを見てください。

そこにあるのは“育みたい、守りたい”という願望です。

「コーラル」は現象世界のなかで自らが関わる個別の生命現象が
永続することを願っているようです。

しかし、現象世界が永遠に変化する世界であることも確かです。

なぜなら、不動は認識不可能であり、それは現象世界の消滅を意味
するからです。

では、「コーラル」の願いは自己矛盾をはらむのでしょうか?

そうなのです、変化の絶えない世界での永続を願う、これこそは
創造された現象世界のなかに露出した最初の矛盾です。

「コーラル」は、その矛盾にどう対処しようとしたか?

「コーラル」は自らの永生ではなく、自分が守り育てる個々の生命が、
いつかその矛盾を解決してくれることを願い、託したのです。

こうして、「コーラル」は現象世界に未来を持ち込み、未来のいつか
にその矛盾が解決されることを願ったのです。

すべての願いは、現象世界のなかで幸福であることを願っています。

しかし、幸福を願うことは、幸福以外のもの、つまり不幸があること
を前提せずにはできないことでした。

そのとき「コーラル」は、自分が養い育てる生命が、その願いを
無にせず、未来に生命を輝かせてくれることを願ったのです。

この願いは対極の願いを励起させずにはおきません。

この願いの相似形は想像がつきますよね。

これは母親がわが子に願うことの元型とも言えます。

現象世界では、その対極の願いはどこに現れるでしょうか?

そうです、それはほかでもない、その幸福な未来を託された子ども
にも当たる意識の位置として呼び起こされます。

「ターコイズ」の全智・全能でありたいという願いは、現象世界で
の幸福の実現を託された意識の位置の願いです。

とはいえ、「ターコイズ」の願いは“体験世界を願ったその思い”
の元型の一隅を占める願いです。

それは、私たちが知る現象世界での子どもの意識とは違います。

「そんなのお母さんの勝手だよ!」というような意味での対極では
ありません。(*^_^*)

「コーラル」の願いを、発信元の「コーラル」本人に返したい、と
いった欲望ではありません。

「ターコイズ」の願いは、「ブルー」と「イエロー」の間に兆す
願いだと言ったら、そのニュアンスが伝わるでしょうか。

すべてが見える神の視界と、個としての体験の喜びを願った意識の
間に兆す、全能感そのものを実現したいという願いです。

どんな未来にも引き継がず、たった今、ここで幸福であって当然だ
とする意識の位置です。

「ターコイズ」は、現象世界の存在を疑ってはいません。

と同時に「ターコイズ」は、現象世界の厳しい拘束性、「二元性の
原理」をあまり意識してもいません。

「ターコイズ」は、無邪気な優等生にも喩えられるでしょうか。

すべてが共振しあっているのが自明と知っている一方で、個人と
いう分離幻想が実現している状態にはまだうといのです。

「ターコイズ」には、すべての個が同時に幸福であることが当たり
前で、容易に実現できることとしか思えません。

「ターコイズ」とは、すべてがひとつだと自明に知っている視点が、
現象世界の枠組みのなかに露出した意識の位置とも言えます。

その無邪気な全能感は、現象世界の枠組みのなかでは、自立とか
責任感として現れる可能性もあります。

「ターコイズ」には、現象世界の事象の原因をほかの誰かに責任転嫁
するつもりなどありません。

すべてが今のなかで共振しあっていることを知っているからです。

と同時に、現象世界の存在を前提してもいるのです。

じつは、ここに「ターコイズ」の矛盾が秘められています。

「ターコイズ」には、現象世界のどんな問題も創造によって解決
できる自信があります。

でも、どんな解決も新たな問題の創造でしかないことには無自覚
なのです。

「ターコイズ」の意識の位置は、現象世界の矛盾すべてを包含する
には、現象世界の拘束性についてあまりにも未熟と言えます。

「コーラル」の願望も、「ターコイズ」の願望も、どちらも確かに
わかるし、同意できます。理解可能です。

でも、この両方を同時に願うことができるでしょうか?(?_?)

「コーラル」と「ターコイズ」の願いは相互に明確に排反しあって
はいませんが、両者を同時に起動することはできないでしょう。

だからこそ、この二色を加法混色すると色になりえないのです。

もちろん、現象世界の全責任を、たったひとつの意図に押し付ける
ことなどできませんけどね。(^^;)

すべての現象は、今のなかにあります。

「両端を同時に見る」とは、今起こっている現象を、過去と未来の
物語に投影しない、という意味も潜在させているようです。

でも、それは現象世界の根本構造に関わることす。

一方の欲望に注目して、他方を無視しているときにのみ、その欲望
は存在しているように見えている。

そうでありながら、一方の極は必ず対極を必要としていて、片方だ
けでは存在できない。

つまり、ほんとうは存在できないものが、魔法で存在しているように
見えているのかもしれませんね。(^_-)

ほんとうに、この「カラーローズ」で展開される“人間心理”の
世界って、いったいどこに向かっているんでしょうね。

(*^_^*)

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこ
へ行くのか』( https://goo.gl/b7rViN )。(-_-)

次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。

いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定された
見解ではありません。

「オーラソーマ」が、ゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」
というすばらしいツールに触発された、まったく自由な立場からの
連想です。

おつきあいいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

                          pari 記

       ………○…………○…………○………

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