第223号 隠者、祈り、オーラソーマのマスターたち(ドミニク)
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■ 1.巻頭コラム:隠遁者、祈り、オーラソーマのマスターたち
ドミニク・ヨーマン
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今回はドミニク先生のマスターシークエンス、マスターシリーズのボトルに関
する考察です。
マスターシリーズはイクイリブリアムボトルの50番のエルモリアから64番
のジュアルクールまでのボトルです。
http://aura-soma.co.jp/products/equi/specialset/master.html
マスターシリーズについてのマイクの考察は以下で読むことができます。
マイクのマスターシリーズの小冊子 オーラソーマコースの副読本
http://artbeing.com/book/BLJ03.html
マイクの講話テープは
http://artbeing.com/book/TM08.html
ドミニクは、このマスターシリーズの考察をある隠遁者の話しから始めます。
隠遁者というと9番の隠者(ハーミッド)のボトルが思い浮かびますね。
http://aura-soma.co.jp/products/equi/B009.html
タロットカードを見ると良く分かるのですが、目をとじ、目の前にランプを手
に持っています。
http://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-09.html
目を閉じているのにランプを持っているのはおかしいですよね?
でも、これは外側を見るのではなく、内側に意識の光を持たらすということを
象徴しています。
ドミニクの言葉で言えば、カラーローズの中心にある光、ということでもあり
ます。
つまりマスターへの旅は、内なるマスターの探求なのです。
ヴィッキーさんの言葉によると、大いなるガイドは内側にありますということ
でもあります。
マスターというと、外側の師を探し求める探求というふうに理解されがちです。
でも外側のマスターに出会って言われることは、自分の内なるマスターを探せ、
ということでもあるんですね。
外側のマスターはそのあなたの内なるマスターを映し出す鏡でしかない、と。
ですからオーラソーマのマスターボトルの意味することは、内なるマスターの
光線を内側に見いだすこと、でもあります。
ドミニクのマスターの考察を通して、自分にとってのマスターの考察を深めて
いただければと思います。
少し長いですが、一挙掲載です。
というのは、次回はいよいよボトルのシェアリングの企画を始めたいと思いま
す。
この企画はみなさんのシェアリングが中心となるものですから、皆さんのご参
加をお待ちしています。
このボトルのシェアリングについてのお知らせは、臨時お知らせコーナーに記
載してあります。
なんだから内輪ですでに盛り上がっているのですが、さて、みなさんのシェア
リング、集まりますでしょうか?
楽しみです。
では、ドミニク先生の「オーラソーマのマスターたち」をお楽しみください。
尚 記
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◆隠遁者、祈り、オーラソーマのマスターたち◆
私は最近エジプトで隠遁者として暮らしている(コプト人の)キリスト教修道
僧についてのラジオ番組を聴いていました。彼らの生き方は素朴で、奥深く、
聞くだけでも栄養となるものでした。静けさに包まれた砂漠のなかの隠れ場と
その祈りの言葉は、私にマスター・シークエンスに対するある洞察を与えてく
れました。
彼らの伝統の中核にあるのは、「天の王国に入るために、私はどんな善行を行
う必要があるでしょうか?」と聞いたある金持ちの若者の問いへのイエスの忠
告です。イエスは「十戒に従いなさい」と答えました。その男がさらに尋ねた
とき、イエスは「もしあなたが完璧を望むのなら、行ってあなたのすべての財
産を売り、それから来て私に従いなさい」と言いました。その値はあまりにも
高く、若者は悲しみとともにそこを去りました。
イエスの言葉とは、天の王国への入り方を尋ねた最初の問への答えではなく、
より深い問い、完璧にやる方法を尋ねた質問への答えです。そしてイエスの解
答は、その本質において、すべての執着を断ちなさいという仏陀の教えと驚く
ほど似たものでした。それは確かに支払うには巨大な価格です。その価格は、
自分が価値を置いてきたものすべてから離れることです。その修道僧たちは砂
漠に入ることで、空虚さと空間のすべてをそなえた砂漠、その美しさと厳しさ
の限界に入ることでそれを支払います。ここにはすべての執着を手放すための
完璧な空間があります。これらすべてのことが、どうしてオーラソーマとマス
ターたちに結びつくのでしょうか?
★カラーローズの中心にある光り
イエスが語った完全さは、オーラソーマの表現ではカラーローズの中心にある
純粋な光りとして表すことができます。すべての色を超越し、すべての体験を
超越して、その光りは永遠に中心にあります。
この光りとひとつになるためには、私たちは周辺の色(人間世界)から目を背
け、ペールカラーを、内なる世界のマスターを通り過ぎる必要があります。私
たちが中心の光りに向かって旅するとき、私たちは淡いパステル調の姿のそれ
ぞれの色とより強烈に出会います。ちょうど砂漠の中で光とチャレンジの両方
がさらに激烈になるように、私たち自身のチャクラの共鳴が増幅されます。
いま私は、イエスが砂漠で過ごした四〇日間はイースターで頂点に達する出来
事への不可欠の準備であったという思いに打たれています。この記事では、マ
スターたちの世界を内的な砂漠に、いっさい気晴らしを持たずしかし生命に満
ちた、私たちをさらにエッセンスに近づけてくれる強烈な場所に喩えることに
します。
★エルモリアからヒラリオンまでのマスターに対する新しい観点
修道僧たちの生活から浮上してきたマスター・シークエンスに対する最初のヒ
ントは、修道僧たちの修行の第三段階、最終段階の説明のときに来ました。そ
れは神についての熟慮、最終的神との一体の段階です。(それは第一段階の沈
黙と平安、第二段階の執着と反応なしに世間を見る能力へと高まる留意の後に
来ます)。この第三段階の絶頂は、純粋な祈りのなかに落ちていくことで、彼
らはこれを、ものごとの内なる真実への純粋な洞察の瞬間的ひらめきというふ
うに説明します。
彼らは、マインドが空っぽである瞬間にそれが起こると言い、彼らはこの状態
を空っぽの空または透明なブルーサファイアに喩えます。この状態の中で、マ
インドは彼らが「神の場所」と呼ぶものを達成するのです。
さて、これはまさにエルモリアのアイディアと思われ、それは、私にとって、
オーラソーマの最初の4人のマスターのエネルギーへの新しい展望である、つ
ぎのような思いへの引き金を引きました。(私はすでに、このシークエンスを
段階の進行として見ることに慣れていますが、通常は転生への旅の文脈で見ら
れています)。今回私は、彼らを新しい光の中で、つまり彼らのシークエンス
が、私たちに起こる可能性ではなくむしろ私たちを通じて起こりうる可能性を
描いているという、より超個的な展望を見ました。ブルー、つまりエルモリア
は最初のマスターであり、ここでは(人間)修行僧の最高の達成、つまり思考
を空っぽにして神のマインドと再結合することを表しています。
これに、イエローつまりクツミのエネルギー、光が私たちの個性の中に差し込
み、個性を通じて輝くという(超越的)自己の解明が従います。そしてここか
ら、私たちの光明を得た自己、ピンク、レディナダ、愛が世界に流れます。す
べてのものを生育するグリーン、ヒラリオンのエネルギーです。これは私たち
の潜在能力の表明と思え、私たちを通じた最初の4人のマスターの流れ、あの
修道僧たちがそれに向かって修行している人間の潜在的達成から得られるもの
です。
★レディポルシャ、祈りと恩寵
いま、あの番組をふたたび聴いてその主題にさらに深くチューニングすると、
マスターシークエンスのもうひとつの部分に焦点が合いました。B59(レデ
ィポルシャ)からB60(老子と観音)へ、そしてB61(サナトクマラ)へ
の流れです。
この番組は祈りに非常に焦点を合わせていました。
祈りの実習は、彼ら修道僧には、神への道であると同時に、またそれゆえ神の
体験であり表現でもあります。そのコプト人修道僧たちの祈りはきわめて単純
です。「主はわれを哀れみたもう」。ただこれだけです。規則正しく。頻繁に。
真心をこめて。何度も何度もくり返し「主はわれを哀れみたもう」と両手を差
しのべるのです。さてこの祈りは、赦しを懇願するレディポルシャの言葉と強
く共鳴するものとして、私を打ちました。もし私たちがレディポルシャの色
(ペールイエロー/ペールピンク)を考慮するなら、それは私たちにこの祈り
の最も深い理由を明かします。
B5(イエロー/レッド)の人間の体験に加えられたB54(クリア/クリア)
の苦しみです。(B5は、チャクラセットのベースチャクラボトルであり、私
たちが人間の体験を持つ肉体、また人間の数である5でもあります)。この祈
りが、背後にある人間の苦しみの体験なしに、全面的に熱烈に捧げられるとは、
(私には)想像もできません。
この祈りはエゴとは何の関係もありません。それは、より大きな富や仕事の繁
栄を表明するのでもなく、私たちの高次の能力を呼び出すニューエイジのテク
ニックでもなく、ただ神/宇宙からの応答を懇願するのみです。そのギフトが
神の臨在であり恩寵なのです。(もしそのほうが言葉にしやすいと言うなら、
おそらくここで神という言葉の代わりに、カラーローズの中心にある純粋な光
というアイディアで代替できることに注意してください)。
神の臨在とか恩恵は私たちが自分で取り出せるものではなく、私たちにできる
のは、それを受け取る準備をすることだけです。まさに「赦す(フォーギブ)」
は文字どおり「与えるために(フォーギブ)」——(私たちに)与えられるか
もしれない何かなのです。この贈り物を説明する非常によい単語は慈悲です。
そしてこの慈悲というアイディアは、まさにレディポルシャのテーマでもあり
ます。
シェークスピアの『ベニスの商人』の中の彼女の有名なスピーチは慈悲につい
てのものです。彼女はそれを、「天からの優しい雨のように」私たちの上に降
り注ぐと説明しますが、これは明らかにこの修道僧たちが求めている慈悲、上
から降り注いでいる何かという考えと反響します。
さらに、恩寵の体験はレディポルシャの色によっても完全に説明できます。今
や私たちは、ペールイエロー/ペールピンクに含まれている別の体験を見るこ
とができます。これらの色をペールにしているクリア/クリアを、今やカラー
ローズの中心で輝きを放ちイエロー/レッドの人間の体験を満たしている純粋
な光として理解できます。光は人間の体験に達したのです。苦しみが私たちに
恩寵(光)を求めさせ、恩寵(光)の到着が人間の体験を、あるいはヴィッキ
ー・ウォールがよく言ったように、Hue-Man(ヒューマン:色人)の体験を照
らしたのです。
★老子と神の心との一体性
もし恩寵が祈りの結果として修道僧のところに来るべきだとするなら、このプ
ログラムは詩篇の言葉の引用してこの体験を説明しました。オーラソーマでよ
く知られる「Be Still and Know that I Am God(沈黙して、われが神なるこ
とを知るべし)」という言葉です。B60(老子と観音)と関連づけられてい
るのがまさにこの言葉です! まさにレディポルシャの直後のマスターです!
哀れみに神の臨在が後続します。B59に続くのはB60です。彼ら修道僧に
よって理解されている霊的プロセスは、マスターシーケンスのテーマの展開と
正確に反響し合うのです!
B60とは、私たちが神の臨在に触れるその静寂の空間です。B60の色は下
層にカラーローズの中心の純粋な光を含み、意識的マインドの平安と完全な受
容であるブルーを上層に含みます。プログラムの説明にあるように、「誠実な
実習によって思考の絶えざる流れがわずかに速度を落とすなら、私たちはそれ
らの間に開くギャップに気づけるようになるでしょう」。
砂漠そのものと同じように、この内なるスペースは本当に静かで本当に空虚で
す。それこそが意識的マインドの活動の背後にある静かな中心です。そして、
その空間の中で、私たちは神の臨在の前にいる自分に気づくでしょう。
少しずつ、熟練した修道僧はますますこの統合状態に入り、この最終状態から
絶えざる祈りの状態が出現します。その状態を、修道僧たちはハートの祈りと
呼びます。今やそこに自己はありません。私たちが眠っているとき自分が眠っ
ていることに気づかないように、修道僧たちはこの祈りという沈思の状態のな
かに完全に吸収されるのです。
「砂漠の父たちは、祈りが私たちの自然状態であると信じていました。この意
味で、外側の神を探す必要はありません。なぜなら神とはあるがままの私たち
の最も深いリアリティだからです。かくて、神を発見する道とは自分自身を知
ることなのです」
★サナトクマラとハートの祈り
この最後の文章は、サナトクマラのキーセンテンス、「As above, so below.
(天にあるごとく、地にもある)」を表現するもうひとつの方法です。B61
(サナトクマラ)は、B60に、そしてB59に後続します。
今や私は、サナトクマラを理解するひとつの方法はそれを絶えざる祈りの生と
して見ることだ、と考える必要があります。驚くのは、色の観点からも私は祈
りとハートがグリーンに近づくことと考えたでしょうが、しかし今や私はそれ
を新しいレベルで見られるからです。この愛(ピンク)は私たちの存在から、
個我(イエロー)としての私たちの存在から流れだします。ピンクは世界に光
りを注ぎ(上層)、私たちの表現であるペールイエローは下層にあるのです。
そしてここから、私たちはB105(アズラエル)を、つまりグラウンディン
グしたコーラル/コーラルの色(これはサナトクマラの光線です)を、私たち
がこの絶えざる祈りを生きている新しい社会と見なすことができるかもしれま
せん。
非常に理想的なのは確かで、たぶん現実とかけ離れているのですが、にもかか
わらずこれが潜在可能性なのです。さらに、上の段落でも見たように、それが
私たちの日常の体験とかけ離れているように見えても、じつは、私たちが想像
できるより遙かに、遙かに近いのです。それは私たちの真我のまさに中核にお
ける行為であり、ただ私たちがそこからはるかに離れているだけです。
少しの時間を取って毎日のこの世の気晴らしから離れ、内なる砂漠のスペース
へと向かい、中心からの恩寵の光を受け取るための誠実な祈りを捧げ、クイン
トエッセンスのサポートを受けながら内なる光の領域に入るなら、これは自分
と集団にとっての正しい方向への一歩となりうるはずです。
★最後の思考
私はこのハートの祈りというアイディアが好きです。そして私は今年がハート
の年であると信じます。2008年にはB8(イエロー/ブルー)の8があります
が、それはシェイクするとグリーンになります。B8は「あなたは自分のハー
トに対して真実でしたか?」と問いかけるカラー・コンビネーションです。
オーラソーマで私たちが持っているのは、他のシステムとは異なる名称、異な
る言語ですが、しかし実践に選ぶ道がどのようであれ、底流にある霊的真実は
同じであると私は信じます。内側に入ること、それがエジプトの砂漠へであろ
うと、カラーローズの中へであろうと、あるいは光の星に向けて自分自身の中
へであろうと、すべて共鳴するものは同じです。
そしてこれらの道を探求し旅することは、生命が提供してくれる機会なのです。
みなさんの旅で幸福でありますように。そしてオーラソーマのエネルギーとツ
ールがあなたに役立ちますように。
2008年3月 ドミニク・ヨーマン 記
ドミニクのウェブサイト:
http://www.colourconscious.com/
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