第512w号 柏村さん(41)「命(13)キリストが語り…」
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■ 1.巻頭エッセイ:柏村かおりさんの
「オーラソーマ いのち から いのちへ」その13
「キリストが語りかけるグランディング」 (2014,4/23)
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今回の柏村かおりさんのエッセイ、「オーラソーマ いのち から
いのちへ」その13で紹介されているキリストのボトルはこれです。
http://www.aura-soma.co.jp/products/equi/B055.html
振って混ぜると、ピンクの無条件の愛の色になります。
キリストは上の色クリヤーで表される「意識」を、この地上(レッ
ド)にもたらした人でもあります。
今回のエッセイでは、このキリストのボトルを使うことの意義、
そして「すべては自分が選び、決めてきた、かけがえのない人生」
を生きていくことの意義について語られています。
それでは、柏村かおりさんの「オーラソーマ いのち から いの
ちへ」その13「キリストが語りかけるグランディング」を、どう
ぞお楽しみください。
尚 記
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マスターボトルのなかに、ひときわ目をひく「キリスト」というボ
トルがあります。
クリアとレッドの鮮明なカラーコンビネーションは、ほかのペール
カラーのマスターボトルのなかでも、よりいっそう存在感を放って
います。
そして、このキリストのボトルに惹かれて、ワークした方々の多く
が「とっても良かったから、続けてもう1本ぬってみたい」と言い
ます。
なぜなら、「生きていることが楽しくなる」というのです。
私たちの足もとのレッドの領域にあるというアーススター。
そこに光を注ぐキリストのボトル。
アーススターには、この肉体とともに経験する予定がプログラミン
グされています。
このレッドのスターを思うとき、私がいつも感じるのは、どの瞬間
も、母なる大地と私たちという存在を、このスターが愛の楔となっ
てつないでくれているということです。
それはまるで、この身体を持って生きていくなかで、私たちがどの
ような試練に遭遇しても、あの軽やかだった天に自ら帰りたくなっ
てしまわないようにグラウンディングを助け、たとえどのようなこ
とが起きたとしても、私たちは決して大地から切り離されたわけで
はなく、真の自己と、その使命を思いだすための大切なプロセスで
あるということに気がついていけるように・・・。
つまり、私たちがこのレッドのスターに、より意識を向けて、この
身体に存在して生きることの意味に目覚めていけたなら、私たちの
この生涯は、愛と感謝に満ちて、より自分の純粋な質を表現して、
生きていけるのではないかと思うのです。
かけがえのない自分の生涯を、すばらしいものにするのも、逆にひ
どくつまらないものや恐れに満ちたもの、あるいは腹立たしいもの
にするのも、すべては私たち本人に選ぶ権利が与えられています。
レッドは、私たちが歓迎できるものよりも、むしろ望まなかったと
感じることに対して、どのように受け入れていくかという課題のな
かで、私たちを育んでくれる色です。
この身体を持って、生きながら果たすと約束したはずの責任を受け
入れていけるのか、それとも追いやり、遠ざけてしまうのか。
それは、私たちがこの地球という惑星と、どのように分かち合い、
つながりを持っていくのかということとも関係してきます。
いったい、私たちはどのような状況で、そのことに気がついていけ
るのでしょうか?
自分のエゴが求める理想とは、そぐわない現実の数々。
なぜ、こんな親のところに生まれて来てしまったのだろう?
家を出たいのにお金がない。
お金のために働いているだけで、こんなことがやりたいわけではな
い。
結婚なんかしたくなかった。
忙しくて、自由がない。
上司が気に入らない。同僚が嫌だ。部下がどうしようもない。
好きでもない家族と暮らさなくてはならない。
安い給料で責任ばかり押しつけられて、割に合わない。
・・・などという言葉を、耳にすることがあります。
そして、そんなとき、いつもこのキリストのボトルが目に浮かびま
す。
私も、これまでの人生のなかで、似たようなことを口にした経験が
あります。
すべては自分が選び、決めてきた、かけがえのない人生のはずなの
に・・・。
そう。
生まれてきた場所や親や、時代さえ。
少なくとも、この日本という国では今の時代、選択が許されている
すばらしい自由が存在しています。
でも状況に関わらず人は、自分次第で、どこにいても即座に不自由
な檻のなかに入ることもできます。
目の前にあることを、気に入らない敵として、怒りと不満にエネル
ギーを注ぐこともできますが、愛の基本的なエネルギーであるレッ
ドに、苦しみの理解の光が注がれたときに、そこには、初めてピン
クの無条件の愛が花開きます。
確かに、キリストのボトルは、シェイクするとレディナダの無条件
の愛になります。
責任を押しつけられていると捉えるのか、責任が取れる自分を誇り
に思うのか?
拒絶しながら生きるのか、開いて受け入れてみるのか。
このキリストというボトルを、もう一度ぬってみたいと思える理由
は、きっとそこにあるのでしょう。
いったい、なにがこのわかれ道となるのでしょうか。
目覚めていくとは、どういうことなのでしょう。
私にはまだ目覚めを理解することなどできていませんが、ここ最近
ようやくひとつ気がつけたのは、「感謝」ということでした。
それはグラウンディングするということとも、とても関係している
ように思います。
目の前の状況に、人に、ものに、目に見えない存在にも、心から感
謝を感じていけることがグラウンディングであり、目覚めへの第一
歩のように思うのです。
苦悩を経験するほどに、私たちの生きることの意味に光が当たり、
そこから新たなエネルギーが生まれます。
感謝の気持ちを持っていくこと、それが難しければ、とりあえず
「なぜ、あの人に(この状況に)感謝しなくては、いけないの?」
と思いながら感謝をしてみます。
感謝をするための理由を探します。
すると、そこにちゃんと感謝をする理由が見えてくるから不思議で
す。
気がつけば、キリストをもう一度ぬってみたくなっているかもしれ
ませんね。
Satya 記
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Satya(柏村かおり) プロフィール
(株)カラフルK代表取締役
オーラソーマ(R)ティーチャー
イメージコンサルタント
カラープランナー
AFT1級色彩コーディネーター
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