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巻頭エッセイ


第589w号 【パリさん】:成長とは、進化とは?

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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:成長とは、進化とは? (2015,10/14)
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オーラソーマは色のボトルであるイクイリブリアムを鏡として、自
分自身を知るためのツーツです。

そのオーラソーマの色の体系は、ゲーテのカラーローズのなかに表
されています。
http://aura-soma.co.jp/intro/color_language/

ぱりさんのカラーローズは、その色の心理的な意味を考察した、哲
学的な思索だといえるでしょう。

オーラソーマは右脳と左脳の統合ですので、色をベースに直感で感
じてみるのもよし、左脳で哲学してみるのもよし、いろいろな楽し
み方があります。

今回、ぱりさんは次のような質問を投げかけています。

「人間心理(願い)のパノラマである「カラーローズ」のなかに、
 進化のゴールを表す点があるだろうか、ということです。

 どう思われますか?

 中心点【無欲】から「カラーローズ」の表舞台に飛び出した人生
 の軌跡、進化の軌跡に、目的地はあるのでしょうか?」

これを読んで、「そもそも、カラーローズの中心は無欲なんだろう
か?」という問いを、ぱりさんに投げかけたく思いました。

というのは、カラーローズの中心は白く、なにもないように見えま
すが、その白い光のなかには虹色が隠されているのです。

その白い光は、プリズムを通すことによって、そこから虹色が現れ
てくるのです。

その虹色のすべてを生きることが、この人生ではなかろうか? と。

それでは、【ぱりさんのオーラソーマ】:成長とは、進化とは?
を、どうぞお楽しみください。

                           尚 記


       ………○…………○…………○………


ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでおつきあいいただければ、
案外、おもしろがっていただけるかもしれません。

「カラーローズ」は人間心理のパノラマです。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/

この図は本当によくできた図で、おそらく人間が単なる思いつきで
勝手に創れるような図ではないのだろうと思います。

眺めているだけで、現象世界という「二元性の原理」の支配下にあ
るファンタジー世界について勝手な連想が動き出します。

「人間心理」とは、眼前に展開する人生の出来事に対する私たちの
「解釈」とも言えるでしょう。

と同時にその「解釈」は、その事象をどうしたい、こうしたいとい
う、「欲望」や「願い」や「意図」も含んでいるでしょう。

その意味では、「カラーローズ」は“人間の意図”のパノラマとも
言えますね。

ところで、不思議だと思いませんか?

我々って、いつの間にやら日常の現実では、あれやこれやと、しな
ければならないことに取り巻かれて、右往左往しています。

なぜか、家族とか仕事とか、いろいろなものに取り囲まれて、その
環境のなかでいつも何かを願ったり意図したりしています。

でも、誰でも知っていることですが、その我々も赤ん坊のころは、
別に何もしなくても良かったんですよね。(^_-)

つまり、何もしなくてもいい状態から、何やかやしなくてはならな
い状態に入ってきたということですよね。

自分がハマった状況の理不尽さに人生で最初に気づいたとき、まる
で我に返ったかのように、子どもは乱暴なことを言ったりします。

よく第二反抗期の子どもが、いちばん甘えられる母親に、「勝手に
産みやがって!」なんて、憎まれ口を叩いたりするのはそれですよ
ね。

もし本当に、母親が“勝手に作れる”のなら、これは作り損ないだ
ったと、そのロボットを勝手に潰してもいいわけですが。(^^;)

でも子どもは親が勝手に作ったロボットじゃありません。

子どもの“自分”は親が勝手に作れるようなものじゃありません。

人間に意識なんか作れるわけがありませんから。

もっとも、子どもの方はそんなことは思いいたりませんが。

実際は、母親と父親は人生への“招待状”を出しただけで、その
“招待状”を使ったのは子どもの方です。

言い換えると、何もしなくてもいい状態から、何やかやしなくては
ならない状態に、どうしても入りたかったわけです。

何やら楽しそうなドラマの仲間入りがしたかった。

「カラーローズ」の中心点(無欲)から、「二元性の原理」に拘束
された「カラーローズ」の表舞台に登場したかったのです。

ちょっと不謹慎に聞こえるかもしれませんが、ゲームの規則がある
世界で体験を楽しみたかったのです。

でも、生まれて間もない赤ん坊のころは、まだまだ“ゲームの規則”
を習得していません。

まわりで動いている現象世界を、ただぼんやり眺めているだけで、
その画像の意味も、その読み取り方も知りません。

大人になった我々は、人間の五感(感覚)は生まれながらに備なわ
っている機能だと思いがちです。

でも、実際はそうじゃありません。

これは、学習で習得したものです。

いわば、ある種の「条件づけ」とも言えるものです。

オーラソーマでは、「ブルー」は人間が最後に知覚した色だとされ
ています。

つまり、それまでの人類は「ブルー」を知覚しなかったのです。

南方の島人が初めて大きな帆船を見たとき、青空を白く区切る、
その大きな帆船が、彼らには見えなかったと聞いています。

あるはずがないものは、見えても知覚されなかったのです。

狩猟民は、農耕民が知覚できない森林パターンの異常を、識別して
いることでしょう。

生活に必要なパターン認識能力は研ぎ澄まされ、必要ない識別能力
は急速に退化していきます。

ネアンデルタール人とクロマニヨン人の五感は、我々の想像以上に
違っていたのかもしれません。

ちょっと脱線しましたが、要は【感覚】もまた“ゲームの規則”の
一部だということです。

やがて赤ん坊は、人間界のパターン認識を学び、家族に組み込まれ、
どこかの誰かとして人間ゲームをはじめます。

つまり、「カラーローズ」の中心点の【無欲】から表舞台に出て、
多彩な「欲望(願い・意図)」に自己同化しはじめるわけです。

「カラーローズ」の色が表す「人間心理(願い)」とは、現象世界
を“そのままは受け入れられない”ということです。

もう少し“望ましい方に引っ張りたい”という意図です。

子どもは親や周囲から、何が正しく何が間違っているか、何がより
望ましいのかなど、たくさんの指導(条件づけ)を受けています。

人間ゲームを演じる上での目標が与えられているのです。

その観点から見れば、いつも自分は満足すべき位置にいるとは思え
ませんし、いつも修正改善すべき点があるように思われます。

それでついつい、忙しくなっちゃうんですよね。(*^_^*)

そして気がついたら、いつの間にか、あれこれしなければならない
ことに取り巻かれて、右往左往しているわけです。

でも、そのころには、すっかりこのゲームに夢中になっていて、ゲ
ーム自体を望んでいるのが自分であることを忘れています

そして、空想された望ましい状態に至れない理由を、現象世界のい
ろんな他者に責任転嫁するというわけです。

でもこの「カラーローズ」の図を眺めていると、嫌でも見えてくる
ものがあります。

それは中心の【無欲】の一点から跳びだして、「カラーローズ」の
表舞台に出ること自体が、そもそも緊張だということです。

それは言うなれば、“ありのまま”の現象世界を、どちらかの方向
に“引っ張りたい”ということなのです。

何かに“成る”ということは、何の足しにもならないただ“在る”
のとは違うということですから。

人間心理のパノラマである「カラーローズ」の表舞台に現れるとは、
何かの「色(願い)」を身にまとうことです。

ある人は、何かのスポーツで秀でたいかもしれません。

別の人は、学問の世界で社会貢献がしたいかもしれません。

また別の人は、大金持ちになってみたいかもしれません。

「カラーローズ」にはそういう個々の具体的「欲望」を展開されて
いるわけではありません。

個々の具体的「欲望」を構成する【願いの原型】の展開図です。

そして全部の「欲望」を合算すれば、相殺して無に帰してしまうこ
とを、前もって教えてくれています。

あなたは、人生とは何だと思いますか?

人生というのは何かを学ぶための場所だと思いますか?

人生は人間が成長するための“道場”だという考え方があります。

そう考える方もたくさんいらっしゃるので、一概にそういう考え方
を否定しようとは思いません。

でも、もし“成長”や“進化”があるとしたら、「カラーローズ」
の中でどんな動きになるか、想像してみるのも面白いですね。

「カラーローズ」の中心点の【無欲】から表舞台に飛び出した誰か
は、どんなふうに動くでしょうか?

いつまでも中心点の【無欲】にとどまっていては、人生ははじまり
ません。

きっとどちらかの方向に動き出すでしょうね。

ある思い込みのなかで、ひたすらあるタイプの「願い」を追求する
かもしれません。

そして、あるとき別の人と深く遭遇する立場になってみて、そうい
った考え方だけでもないんだな、と深く納得するかもしれません。

そうやって、いろんなタイプの「願い(欲望)」があることを知る
かもしれませんね。

もしかすると、いや、きっと、当人の「願い」のタイプにも変化が
起こるのではないでしょうか。

子どものころに書いていた日記を何十年後かに見つけたら、今の自
分の「願い」と、ずいぶん違うことに気づくだろうと思いませんか。

じゃ、今の自分は、昔の自分より賢くなったのでしょうか?

進歩したのでしょうか?

今の自分は、昔の自分の進化形でしょうか? (^_-)

(*^_^*)

もちろん、心からそう思える幸運な方もいらっしゃると思います。

でも、そうでない人の方が多いかもしれませんね。

そんな大人の思いを、詩人の中原中也は

「汚れっちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れっちまった悲しみに
 今日も風さえ吹きすぎる」

と歌ったのかもしれませんね。

でも、想像したかったのはそういうことではありません。

人間心理(願い)のパノラマである「カラーローズ」のなかに、進
化のゴールを表す点があるだろうか、ということです。

どう思われますか?

中心点【無欲】から「カラーローズ」の表舞台に飛び出した人生の
軌跡、進化の軌跡に、目的地はあるのでしょうか?

人生における成長とは、どんな“人間心理”(願い)へと向かって
いくことなのでしょうか?

人間が進化するとは、「カラーローズ」のなかの、どこの位置に向
かうことなのでしょうか?

そういう特別の“人間心理”が、この「カラーローズ」のなかにあ
りそうですか?

人間の一生って、どんな心境に向かっているのだと思いますか?

この「カラーローズ」は“人間心理”のパノラマであると同時に、
「二元性の原理」のテンプレートでもあります。

あらゆる資質は、その対極の資質の存在を必要とします。

対極がなくてはその資質は存在することができません。

“人間心理”のあらゆる欲望は、その対極の欲望が存在してはじめ
て存在できるのです。

我々はついつい、最も善なるものの特徴だけを集めて「神」のイメ
ージを創りがちです。

そしてそれに入らないものを集めて、その元締として“悪魔”を想
像したりします。

でも、それでは全知全能の神は、悪を包含できないことになってし
まう。

それじゃ、全知全能の神の名に値しませんよね。

もちろん、悪なるものもまた、神の姿なのです。

(@_@) ⌒★?

じゃ、この「カラーローズ」で展開される“人間心理”の世界って、
いったいどこに向かっているの? (?_?)

(*^_^*)

『我々はどこから来たのか 我々は何者か われわれはどこへ行くの
か』( http://p.tl/0WWA )。(-_-)

実際、この旅はどこへ向かっているのでしょうね。^^;;

次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。

いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定され
た見解ではありません。

「オーラソーマ」がゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」
という素晴らしいツールに触発された、まったく自由な立場からの
連想です。

おつきあいいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

                          pari 記


       ………○…………○…………○………
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