第232号 皆さまの「ボトル体験シェアリング」(マスター)
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■ 1.購読者のみなさまからの「ボトル体験のシェアリング」コーナー
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ボトルのシェアリングコーナー、マスターシリーズの最終回です。
みなさんのボトルシェアリングを読んでいると、まさに、みなさんの体験を通
して、ボトルが語っている、という気がします。
体験というのは、自分の内側にあるものが感じられるということなので、それ
は自分自身を語るということでもあるんですね。
それは、自分自身への気づきを深めることでもあります。
エクハルト・トールが「今ここのパワー」(パワー オブ ナウ)という本を
書いていますが、今ここにいることができれば、そのことから多くのことが起
こってくる、ということでもあります。
それは頭で考えたり、情報によるパワーとはまた異なったパワーです。
それは右脳の直感からのものでもあります。
身体に気づく、ということが今ここにいるためには最も簡単で確実なやりかた
です。
なぜなら、身体は過去に存在するわけではなく、未来にあるわけでもなく、今
ここにあるからです。
ボトルを肌につけるときに、その身体を感じていくことが、今ここにあること
であり、その自分自身を感じ、大切に身体に塗っていくことが、自分を大切に
し、愛していくことでもあります。
そのように、ボトルを使いながら自分を感じるという体験があれば、ボトルを
感じていくということもやりやすくなっていくでしょう。
ボトルについての知識がなくても、ボトルを感じることから、直接情報を読み
解いていくということが可能になっていきます。
それが、直感的知性を目覚めさせることで可能となってくることでもあります。
そうすることで、ボトルについての知識が具体的な形で生きてきます。
そのとき、右脳の直感の翼と、左脳の知識的情報の翼の両方を使っていくこと
ができるようになっていきます。
オーラソーマシステムは、そういう意味では、右脳と左脳の両方を開発する教
育システムともいうことができるでしょう。
ボトルのシェアリングを読んでいると、さまざまなボトルとのワークの可能性
が開示されていくようです。
尚 記
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マスターシリーズの「ボトル体験のシェアリング」に応募していただきありが
とうございます。
今回採用された皆様にはクイントエッセンスをプレゼントさせていただきます。
ご希望のクイントエッセンスをお知らせください。
次回は、「チャクラセットシリーズ」をテーマに募集をしたいと思います。
詳細は→
http://www.aura-soma.co.jp/products/equi/specialset/chakraset.html
シェアはこちら→
http://aura-soma.co.jp/mail/forms.cgi?id=sharing
ふるってご応募ください。
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くらっち さん ≪51番 クツミ≫
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クツミについて
クツミはボトルを使用したことはないのですが、クイントエッセンスを使っ
たことがあり、投稿させていただきます。
レベル1を受けていた当時、先生と受講生みんなで近くの公園へ散歩に行き
ました。当時の私はクツミの意味など全く知らず、あたたかで心地よい日差
しにただウキウキしていました。
先生はその公園で、クツミ(クイントエッセンス)を3滴わたしたちに施し
てくれました。
私は一人になり、世界にエネルギーを与え、静かに佇んでいました。
池の縁に立っていた私は、池から魚がたくさん顔を出してくるのをみていま
した。魚が餌もあげていないのに踊るようににぎやかだったことを覚えてい
ます。
友人の元には鳥が何羽もやってきていました。
(ちょっと近すぎて友人は怖がっていましたが、^ ^;)
木々が、そしてその間から見える太陽の光がとてもキラキラときれいでした。
幸せで満たされているという感覚が自分を取りまいていました。
あとでクツミは[自然とのつながり]をもたらしてくれるものだと知り、「な
るほどな~」と思いました。
先に頭を使う(=授業として習う)のではなく、自分の感覚を重視するオー
ラソーマならではのお散歩兼レッスンに関心した出来事でした。
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クツミは小鳥などともおしゃべりができたという、聖フランシスのエネルギー
を表しているとも言われていますね。
イエローは、天と地をつなぐ人間の色でもあり、天の天使、地の精霊との橋渡
しでもあり、自然の精霊との橋渡しですね。
クツミとともに、いい体験ができましたね。
くらっち さん ≪54番 セラピスベイ≫
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セラピスベイについて
ボトルではなくクイントエッセンスになのですが、セラピスベイで不思議な
(?)体験をしたことがあり、投稿させていただきます。
レベル1を受講していた当時、リーディングをどのように進めていくか、の
授業をする際のサンプルとして私が選ばれ、4本のボトルと共に先生の前に
座りました。
その時、先生の発する言葉があまりにに当たり過ぎていて、驚きとともに心
の奥底に眠っていた感情と向き合うことになりました。
ほとんど絶句して涙をただひたすら流していた私は先生の質問に答えを発す
ることもできず、首をふるだけのサンプリングとなってしまいました。
その日は初めてのペアワークをする予定だったのですが…
他の生徒さんたちも、なぜかもらい泣きをしてしまい、授業になりません。
^ ^;
そこで先生が取り出したのがセラピスベイ(クイントエッセンス)!
先生は自分の掌にセラピスベイをつけ、私の下半身から上へ上へとフワッフ
ワッと風を送ってくれました。
すると不思議なことに“スッ”と涙がとまったのです。
「あれ、なんで?」と思いながらも、同時に気持ちがフワっと軽くなったこ
とを覚えています。
でも2~3分するとまた涙が。。。
そこで、また先生がセラピスベイを施してくれると、スッと涙が引きました。
最後は生徒全員でセラピスベイを部屋中に行きわたらせ、ハグしあいました。
自分の気持ちと向き合って辛かったのに、(感情の)蓋があいて、涙を思い
っきり流した後はちょっとすっきりしました。
そのレッスン後のおやつがとても美味しかったです。
(泣くと体力を使うんですね。)
たまたまと思っていましたが、これも必然だったのでしょう。
あの機会をいただけたことに、今はとても感謝しています☆
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セラピスベイ、は流されない涙の井戸、というキーワードもありますね。
凍り付いていた感情が溶けて流れ出す瞬間ですね。
涙とともに浄化が起こります。
とらねこ さん ≪52番 レディ・ナダ≫
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マスターボトルは3本手元にあります。(老子と観音のペンダントは割れてし
まったのでカウントしていません)
その中でレディ・ナダについて、シェアリングしようと思います。
25mlのボトルを購入しましたが、きっかけは確かコンサルテーションを受け
て薦められたのだと思います。
自分は自分自身に厳しいというか、自分の傷口に塩を塗るタイプの人なので、
よくレディ・ナダ、レディ・ポルシャあたりが定期的にメッセージをくれま
す。
特に先に進めない時期、やる気がなかったり疲れが取れない時期に出てくる
のですが、とにかくポジティブよりもネガティブな考えが多くなって、「自
分はいったい何やってるんだろう。。。」がこの時のキーワードです。
その中で共通しているのは、自分の行った言葉に責任を感じすぎて、がんじ
がらめになっているときです。
自分を許すことができず、もちろんいたわるなんてこともできません。
例えば肉体レベルの癒し、マッサージに行くとかリラックスしにいくとか、
そういったいたわりはできても心からのリラックス感を得られないのです。
そんなときには横になってレディ・ナダのボトルを心臓の上あたりに置き、
深呼吸して目を閉じます。
だいたいそのまま眠ってしまうことが多いのですが、
その後目が覚めた後、1日以内に『号泣』します。
本を読んでいたり、テレビや映画を見ていたりして泣くという行動が起こる
のです。
おそらく日頃抱えている、言いたくても言えない言葉たちが、涙という姿に
変えて外の世界に放たれているのかなと思います。
つまり、昇華できない想いが涙となって流れ出るのです。
そのきっかけがレディ・ナダのボトルだったのです。
最近は心臓の上に置かなくても、視界に入っただけでも同じような行動を起
こしていることが多く、
やっぱり必要なときには目に入ってくるんだな~と思います。
涙を流した後にはすっきりするとはよくいったもので、どれだけ悔しい想い
をしても、どれだけ怒りを抱えていても、たとえそれが一瞬のことだとして
も、涙を流すことで昇華されていく気になります。
それこそ感情のデトックスです。
その助けになってくれているのがレディ・ナダです。
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涙には、多くの意味があります。
言葉では言い表せないことも、涙は表していることもあります。
涙を流すことで、多くのことが昇華されていくというのも、そうですね。
「本を読んでいたり、テレビや映画を見ていたりして泣くという行動が起こる
のです」
というのを読んで、私も、マスターに出会ったあと、理由のない涙が1週間ほ
ど止まらなかったことを思い出しました。
そのときは、歩いていても、何をしていても、いつ涙が出るかわからないので
困りました。
喫茶店でメニューを見ているときに突然涙が出てきて、横にウエイトレスの人
が立っているので、ごまかすのに苦労しました。喫茶店のメニューを見て泣く、
なんてありえないですもんね。
悲しいというのではないのです。感情の涙でもないのです。
理由はわかりません。強いて言えば、懐かしい、というような、でもなんとも
理由のつかない涙でした。
でも、何かの奥深いところに触れたところから流れてきた涙なんだということ
はわかりました。
先日の、「直感的知性の目覚め」ということの中で、私の中でクリヤーになっ
たことは、クイントエッセンスというのは、自分のエッセンスとつながる、と
いうことですね。
マスターというのは、外にあるエネルギーではなく、自分の内側にあるマスタ
ーのエネルギー、それはとりもなおさず、自分の内なるエッセンスのエネルギ
ーなのです。
そのような自分のエッセンスに触れたときに流れてくる涙というものもありま
す。
普段の生活で、私たちは、そのエッセンスを忘れがちですね。
クイントエッセンスはそのような、自分の内なるエッセンスにつながるための
ツールでもあるのだと思います。
ロッタ さん ≪マスターボトル≫
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「マスターボトルのシェアリング」への三度の投稿をお許しください。
今回はマスターについて、書いてまいりたいと思います。
マスターについては謎が多いと思われる方がほとんどだと思いますから、参
考になればと思い、書きました。なお、以下にあげる文章は
◎『TAO 老子の道(上)』 OSHO
◎『神との友情(下)』 ニール・ドナルド・ウォルシュ
から引用します。
ではまず、マスターについてOSHOはこう語りました。
「教師というのは、いつでも教える用意がある。
マスターというのは、けっして教える用意はない。
教師は攻撃的だ。活動的だ。マスターは非攻撃的で非活動的だ。
教師は、あなたの後にくっついて回って、
彼の知識をあなたの肩に背負い込ませようと無理強いするだろう。
マスターは待つ。
彼からはつかみ取らなければならない。彼には相伴をしなければならない。
彼はあなたの後を追いかけたりはすまい。
彼はあなたに強制したりはすまい。
彼はあなたの扉をノックすることさえないだろう。
彼はただただ待つに違いない。
あなたは彼の実存に相伴することならできる。
彼の内なる〈空〉に、彼の実存の内なる場所に、
彼の内なる王国に、はいって行くことはできる。が、それはあなた次第だ。
その仕事は全部あなたがやらなくてはなるまい。
マスターはただの〈臨在〉だ。
もしあなたが魅きつけられたなら、
あなたはその〈臨在〉の中に落ち込むことだろう。
マスターは静かなる〈臨在〉だ。
あなたが彼から学ぶことはできる。が、彼から教えることはあるまい。」
「知識の人は教師になる。
そして、何百万という人たちが彼に魅きつけられて来る。
というのも、何かを覚えれば、
あなたのエゴは強くなったような感じがするからだ。
ごく少数のまれな魂たちだけが、マスターに魅きつけられる。
なぜならば、実際マスターのところでは、
あなたは覚えたものを忘れなければならないのだから……。
マスターのところでは、あなたは死ななければなるまい。
あなたのエゴは完全に粉砕されるに違いない。
そうして初めて、あなたは〈寺院〉の中へ、マスターの実存のその内奥無
比なる社の中へ足を踏み入れることができるのだ。
マスターというのは賢者だ。
が、彼の〈理解〉はあなたの理解力よりもはるかに深遠なものだ。
彼を理解するのは難しい。
なぜならば、理解というのは浅薄なものでしかないだろうから。
そして、あらゆる理解というものは、多かれ少なかれ、誤解でしかないだ
ろうからだ。
マスターに関しては、彼を理解しようとなどしないこと。
どうしてあなたに彼を理解することなんかできる?
どうしてあなたに、ひとつの永遠の現象を理解することなんかできる?
それを生きることはできる。その中に溶け去ることはできる。
あなたは、それが自分の中に溶け込んでくるのを許すことはできる。
それが可能なすべてだ」
「それならばどうしたらいい?
唯一の道——わたしはそれを強調する——
唯一の道は、誰かその体験に達している人とともに生きることだ。
ただ、誰かその体験に達している人の存在の前にいること……。
すると、何か神秘なものがあなたに転移されるだろう。
言葉でじゃない。それはエネルギーの跳躍だ。
ちょうど、炎がともっているランプから、
ともっていないランプへ跳ぶように……。
同じことがマスターと弟子の間で起こるのだ。
『教外別伝』……メッセージではなく、エネルギーの伝達。
言葉ではなく、生そのものの伝達……」
以上『TAO 老子の道<上>』~いにしえの賢者~より
「霊的な<マスター>はすべて理性の外にいる。
つまり、自分がどんな存在かと意識的に考えたりしない。
ただ、シンプルに存在する」
「<マスター>になれば、あなたを通じて他者に自分を体験させるようになる。
だから、<マスター>に出会えば、<マスター>だとわかる。
<マスター>はあなたをわかってくれるのだ。
<マスター>はあなたを自分自身に連れ戻す。
あなたを認識(recognize)しているから。
あなたをもう一度知る(re-cognize)からだよ。
だからあなたも自分自身をもう一度知る(re-cognize)。
もう一度、真の自分として知る。それを他者に伝える。
<マスター>は、もう他者を通じて自分を知ろうとするのではなく、
自分を通じて他者に自分自身を知らせることを選ぶ。
だから、<真のマスター>とは、弟子がいちばん多いものではなく、
<マスター>をいちばん多く創り出すものだと言ったのだよ」
「みんながすべてを知っている。真の自分を知っている。
だが、もう一度自分を創造するために、自分が何者であるかを忘れた。
思い出さず、自分が思い出していないことを思い出さない人がいる。
思い出さないが、自分が思い出していないことは思い出している人がいる。
思い出さないが、自分は思い出していると思っている人がいる。
思い出しているが、自分が思い出していることを思い出さない人がいる。
思い出していて、自分は思い出していないふりをする人がいる。
そして、思い出しており、
自分が思い出したことを思い出している人がいる。
完全に思い出した(re-membered)人は、
再び神の身体の一員(member)になったのだ」
以上『神との友情〈下〉』より
いかがですか。
なんとなくわかったような、わからないような、そんな感じでしょうか。
「マスターに出会えば、マスターだとわかる」
それは直感でわかると思います。ビビッときたらそれを信頼することでしょ
うね。
そのためには、イエローの意識から脱出して、ブルーの意識に到達すること。
ブルーの意識になれば、マスターの存在に気づくことができるのではないで
しょうか。
マスターに近づくことができれば、自分が誰かを思い出せるはずです。
わたしは? 自分が誰かを知っていますよ。^^
ありがとうございました。
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OSHOはマスターとして、自分のことを語っていますね。
OSHOの臨在の中にいることは、至福でした。
OSHO ただただ美しい。。。
その人のことを思うだけで涙があふれ出てきます。。。
尚 記