第473w号 【パリさん】:カラーローズ—何が現象世界
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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:何が現象世界を起動するか? (2013,7/24)
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今回の巻頭エッセイは「ぱりさんのオーラソーマ」ですが、今回も
長編、かつ哲学編ですので、考えることが好きな方にはおもしろい
と思いますが、オーラソーマのヴィジュアル系、直観、感覚系の方
にとっては、ちょっとついて行くのが大変かもしれません。
ですので、要約抜粋版をここに引用しておきますが、これはマイク
の言葉ですので、オーラソーマのエッセンスとも関わりがあります。
そしてひとつ、ぱりさんの解説のなかに、これは絶対に落としてほ
しくないという、オーラソーマの大切なポイントが抜けていました
ので、それを補足して、前置きとさせていただきます。
まず、ぱりさんが引用しているマイクの言葉はこれです。
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> それでは一体色はどのようにこのプロセスとかかわっているので
> しょうか。
> 色は心と感情の状態が投影されうる手段なのです。
> そして私たちが色を通して見る投影は、私たちが実際体験してい
> るよりもっとリラックスした、くつろいだ状態の明確な投影なの
> です。(p67)
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つまり、私たちがオーラソーマのボトルを選ぶとき、その色は私た
ちの「魂の鏡」としてだけではなく、「心と感情の状態が投影され
うる手段」なのだと言っています。
しかも、それは「リラックスした、くつろいだ状態の明確な投影」
だということです。
この「リラックスした、くつろいだ状態」というのは、私たちのあ
るがままである本来の状態、という意味です。
そこで、ぱりさんの解説が以下に続きます。
> つまり、「色」とは心や感情の(リラックス状態からズレた)状
> 態を反映できる、そのズレ方を表現しているということでしょう。
>
> だから、その「色」を見れば、それが(リラックス状態から)ど
> ちらの方にズレた状態か、どちらに戻ればいいかが分かる。
>
> しかもそれは、通常の人間心理より、ずっとリラックスした明確
> な反映だというのでした。
>
> だから、自分が惹かれる「色」を見れば、顕在意識の検閲を逃れ
> て、自分本来の願い(楽な方向)を知ることができるわけです。
ここで、ぱりさんは「色を見れば」ということを強調しています。
しかし、そこで「その色を体につけて使っていく」という側面が書
かれていません。そこには重点を置いていないので、書かれてはい
ないのですが、実はその書かれていないそのことがオーラソーマの
大切な要点でもあるので、ここで補足をしておきます。
オーラソーマ社は、どうしてシャイアファームという広大なオーガ
ニック農場を有し、かつオーラソーマのエネルギー的側面を強調し
ているのでしょうか?
どうしてそれらを身体につけたり、ポマンダーやクイントエッセン
スをすることでオーラが活性化されて、魂がケアされるのでしょう
か?
また、どうしてオーラソーマは「生きているエネルギー」だという
ことを強調しているのでしょうか?
実は、そこにいわゆるオーラソーマが占いとは決定的に異なってい
る側面があります。
オーラソーマのコンサルテーションを占いのように思っている人も
いますし、実際占いのように使っている人たちもいます。
しかし、それでもオーラソーマが占いや他のシステムと決定的に違
っているのは「それを実際に身体に塗って使うことで、エネルギー
的にサポートする機能を持っている」からです。
単に色占いや見て使うだけなら、色の水でこと足りるはずです。
ところがオーラソーマが多くの努力とノウハウをプロダクトの製造
に傾けているのは、それを実際に使ってもらうためのものであるか
らである、ということを忘れないでいただければと思う次第です。
以上のことを補足として、【ぱりさんのオーラソーマ】:何が現象
世界を起動するか? を、どうぞお楽しみください。
尚 記
………○…………○…………○………
ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;
オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。
ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでお付き合いいただければ、
案外、面白がっていただけるかもしれません。
エンタメ系ですから、そのつもりで読んでくださいね。(^_-)
前回、何が起こっているかを「知る者」は、起こしている側、つま
り現象の“表現媒体”にはなれない、みたいなことを書きました。
「知る者」は、現象世界そのものではありえないようだ、と。
でも、もしそうだとすると、ちょっと困ったことになるんです。
なぜでしょう?
なぜなら、もし「知る者」が現象世界そのものでありえないなら、
逆に言うと、現象世界も「知る者」にはなれないからです。
でも、これって変ですよね。(@_@)
だってわれわれは通常、自分が「知る者」だと思っているでしょ。
なのに、自分の身体は、こうしてちゃんと現象世界のなかに現れて
いるじゃないですか。(?_?)
もし【「知る者」自体は、いかなる“表現”も兼務できない】のな
ら、人間の身体は「知る者」ではない、ことになってしまう。
われわれが「知る者」だというのが間違いなんでしょうか?
いやー、もしわれわれが「知る者」だというのが間違いなら、そも
そも「知る」という言葉の意味さえわからなくなってしまいます。
われわれが「知る者」だと言って、まずはいいと思うんです。
それじゃ、【「知る者」自体は、いかなる“表現”も兼務できない】
というのが間違いだったんでしょうか? (?_?)
いやー、それについても十分吟味したと思うんですよねぇ。(-_-;)
http://www.aura-soma.co.jp/newsletter/backnumber/dtl_1369.html
(1) 現象世界に現れているものは、現れを知ることはできない。
(2) われわれの身体は、こうして現象世界に現れている。
(3) われわれは、現れを知ることができる。
この3つの文章の、どこに間違いがあるんでしょうね? (?_?)
この3つの文章は、どれを見ても間違いとは思われません。
でも、3つ一緒にすると、矛盾してしまう。
うーむ。(-_-;)
(*^_^*)
この3つの文章の、どこに変なところがあると思いますか?
pariさんが勝手に言ってる、
(1) 現象世界に現れているものは、現れを知ることはできない。
というのがインチキなんだろう、と思った方もいるでしょ。(^_-)
気持ちもわかります。(^^;)
でも、(1) の文章の中には、たぶん、インチキはありません。
どちらかと言うと、インチキは(2)と(3)の方に隠れています。
というか、(2)と(3)を一緒にすると、何となく怪しく、インチキみ
たいになってしまうんです。
というのは、(2)と(3)の文章はそれぞれ間違っていないのですが、
(2)と(3)では、よく見ると主語が違うのです。
(2) われわれの身体は、こうして現象世界に現れている。
(3) われわれは、現れを知ることができる。
確かに、われわれの身体は現象世界に現れています。
そして、われわれは、現れを知ることができます。
でもここには、“現象世界に現れているわれわれの身体”と“現れ
を知ることができるわれわれ”が、同じだとは言っていない。
読んでいるこちらが、勝手に同じだと思っただけです。(^_-)
じつは、表現を「知る者」と、表現を“担うもの”は、同じではな
いのです。
ここでその両者が、どう違うのかを確認する必要がありますね。
以前「“補色軸”について」という文章を書いたことがあります。
http://www.aura-soma.co.jp/newsletter/backnumber/dtl_870.html
そこではマイク・ブース氏の「癒しとは何か?」の次の部分を引用
したのでした。
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癒しとはよりリラックスして楽な状態に、ストレスや緊張からよ
り開放された状態に戻ることなのです。
病や病気のもととなるストレスや緊張はどこからやってくるので
しょうか。
それらは私たちの物ごとに対する考え方のパターンの反映である
ところの、私たちの態度(在り方)に起因します。
考え方のみならず、感情的反応の仕方も同様です。
『リヴィングエナジー2』(p67)
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……と。
そして、その緊張ということのイメージシンボルとして“ゴム紐”
の比喩を書いたのでした。
地面に杭を立てて、それに丈夫なゴム紐の一端をくくりつけ、もう
一端を身体に結んで引っ張れば……緊張すると。
そして、もとの杭の位置に戻れば、ゴム紐の緊張も解けて、自分も
楽になる、と。
さらにマイクは次のようにも言っています。
------------------------------------
それでは一体色はどのようにこのプロセスとかかわっているので
しょうか。
色は心と感情の状態が投影されうる手段なのです。
そして私たちが色を通して見る投影は、私たちが実際体験してい
るよりもっとリラックスした、くつろいだ状態の明確な投影なの
です。(p67)
------------------------------------
つまり、「色」とは心や感情の(リラックス状態からズレた)状態
を反映できる、そのズレ方を表現しているということでしょう。
だから、その「色」を見れば、それが(リラックス状態から)どち
らの方にズレた状態か、どちらに戻ればいいかが分かる。
しかもそれは、通常の人間心理より、ずっとリラックスした明確な
反映だというのでした。
だから、自分が惹かれる「色」を見れば、顕在意識の検閲を逃れて、
自分本来の願い(楽な方向)を知ることができるわけです。
地面に打ち込まれた“杭”とそれにくくりつけた“ゴム紐”の比喩
に戻ると、これはどういうことでしょう。
“ゴム紐”の一端を身体に結んだ人間が、ひたすら東に向かったら、
だんだん緊張が高まって、ついには緊張の限界に達します。
“ゴム紐”の許容限界までは進めても、それ以上は進めなくなる。
どちらに戻れば“楽”になるのかは明らかです。
“杭”のある西です。そちらに向かえば、急に“楽”になります。
“杭”のところで、止まればこれ以上の“楽”はありません。
どちらの方向に進んでも、理屈は同じです。
許容限界までは進めますが、それ以上は緊張が高すぎて進めない。
もし、このひとが、行けるところすべてに行ったとすれば……。
牧草地で紐にくくりつけられた山羊みたいに、紐の長さを半径とす
る円の中を移動することになる……と表現したのでした。
とっても拘束されたイメージで、人間の状態の喩えとしては、ちょ
っと失礼なようでもあります。(^^;)
失礼なようでもあるのですが、じつはなかなか意味深なのです。
なぜなら、現象世界はどこまでも「二元性の原理」が支配する世界
だからです。
あらゆる表現、あらゆる意図には、必ずその対極があります。
そしてどの対極同士も、同時に存在すれば「光の混色=加法混色」
の原理によって“対消滅”するのです。
元のただの光に還ってしまうわけです。
スピリチュアル用語で「至福」とか「無欲」と言われるものです。
“楽”と言えば、これ以上の“楽”はありえません。
ではなぜ宇宙は、楽な方に収束して“対消滅”してしまわないのか。
なぜだと思いますか?
なぜならここに、常に“努力し”“頑張り”“緊張を高めている”
“緊張の元種”があるからです。
見当がつきました?
ええ、そうです。
「分離の幻想」、別名「自我(エゴ)」があるからです。
「エゴ」が、宇宙の“元種”なのです。
異論のある方もいらっしゃるかもしれませんが。(^^;)
でも、補色軸の対局にある二色が「加法混色」で消滅するというの
は、作り話ではなくて事実なんです。
でも、宇宙の構造がその内部的ダイナミクスも含めてすべて公開さ
れているって、本当に凄いことですよね。
「カラーローズ」を見ていると、いろんな連想が出てきますね。
「カラーローズ」って、本当に素晴らしいです。(^^)/
・【ブルー・オレンジ軸】 =【独存・依存軸】
・【イエロー・ヴァイオレット軸】 =【好奇・脱出軸】
・【レッド・グリーン軸】 =【熱望・受容軸】
・【コーラル・ターコイズ軸】 =【委託・受託軸】
・【ゴールド・ロイヤルブルー軸】 =【権力・権威軸】
・【オリーブグリーン・マジェンタ軸】=【希望・諦観軸】
●←ブルー
●←ロイヤルブルー ●←ターコイズ
●←ヴァイオレット ●←グリーン
●←マジェンタ ・ ●←オリーブ
グリーン
●←レッド ●←イエロー
●←コーラル ●←ゴールド
●←オレンジ
次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。
いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定され
た見解ではありません。
「オーラソーマ」がゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」
という素晴らしいツールに触発された、まったく自由な立場からの
連想です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>
pari 記
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