第10号 目に見えないもの(2)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.目に見えないもの(その2)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前回は、オーラソーマは目に見えないものへの架け橋となってくれる
というお話しをしました。
オーラソーマでは、「目に見えないもの」として、チャクラやオーラや魂、
意識、天使、瞑想、過去生といったお話がでてくるわけですが、
そういうのって、よくわからない、って思いませんか?
これから、そういうことのお話しをするまえに、この現実の世界、という
目に見えるもののことを考えてみましょう。
この目に見える現実というのはほんとうに存在するのでしょうか?
そこまで言わないまでも、この目に見える現実だけがすべてでしょうか?
もし物質がすべてだとすれば、この物質が滅びれば、
現実はなくなりますね。
肉体がなくなれば、つまり死ねばすべてが終わるわけです。
現代の科学が証明しているのは、この物質でさえ、
原子核のまわりを電子がまわっている分子でできているわけですが、
原子核とそのまわりをまわる分子との間には大きな空間があるです。
つまり、それはちょうど、地球のまわりを月が、太陽のまわりを惑星がまわっ
ているような空間がその物質の中には広がっているのですね。
つまり固定した物体に見えるものでも、物質よりも空間が多いわけです。
さらに小さな世界を研究する量子物理学では、
観察者の意識が量子の動きに影響することも証明しました。
人間の意識については、脳が意識を作るのかと思いきや、
ノーベル賞受賞者の脳生理学者スペリーは、意識は脳の中にはない、
とも言っています。
この現実の世界の尺度である時間と空間も絶対的なものではなく、
アインシュタインは、時間と空間は相対的であることも証明しました。
大きくこの宇宙を観てみれば、宇宙物理学では、
宇宙はビックバンで始まったという、信じられないような仮説を説いています。
だって、米粒よりも小さい点のようなものだったものが
ある日爆発して、この広大な宇宙になって膨張してる、
なんて信じられますか?
そもそも、その小さな点はどっから、いつ始まったんだ
っていう疑問が生じますよね。
またある学説では、この宇宙空間、真空だと思われていた空間にも
空っぽではなく、あるものが充満しているのだとも考えられたりもしています。
何を言いたいかというと、目に見えるものを現実と考えるのは左脳の世界、
論理的に納得する範囲でものごとを見ようとする世界ですが、
実は、左脳の論理、科学で突き詰めたところ、そこには不確実な世界が
広がっているということです。
これらの宇宙がどうしてこれほどまに秩序正しく運行してるのか。
大自然の仕組みと動植物の生態の驚異。
そしてこの人体の仕組みと機能の不思議。
ある程度の物理法則や原理が解明され、生態や生体の機能や仕組みまではわか
っても、何故そうなのかという究極のところは何一つ左脳でわかっていません
ね。
では見えない世界というのはどうなのでしょう?
そもそも見えない世界ってどうやったら見えるんでしょう?
矛盾した言い方ですよね。見えない世界が見えるなんて。
オーラやチャクラ、天使や過去生、魂や意識のようなもの・・
天使がいるなら、幽霊というものもいれときましょう、この際。
シックスセンスっていう映画では、そうでしたから。
昔は日本にはもっと幽霊がでたんですが、
最近は天使のほうが人気があるようですね、日本でも。
オーラを見る方法、というのもあるようですが、
ヴィッキーさんは目がほとんど見えなくなってからも、
オーラは見えたのですね。
どうやって?
チャクラなどもインドのヨギたちはヴィジョンとして
見ることが出来たのです。
チベットでは、チベットの死者の書にあるように、
死んだ魂を導く作法があるのです。
日本でも49日というのがあって、
その間中有で魂が迷わないようにロウソクだかお線香を灯していたりします。
チベットの精神的指導者となる代々のダライラマも、
ダライラマとなるべく転生してきた魂を見つけだして、
その子供がダライラマになるのですね。
現代のダライラマはその伝統を壊してしまったそうですが・・・
先日なくなりましたが、キュブラーロスは臨死体験者の
インタビューから死後の生ということを確信していましたし、
転生した子供たちの記録や、過去生回帰などの記録も
医師や学者によって、さまざまな本で報告されています。
ノーベル賞などを受賞した大きな発見や発明は
左脳で考えた末に発明発見されたというよりも、
左脳で考えに考えをつくしたあとに、考えるのをやめて
リラックスした瞬間にひらめいたり、夢でヒントを
得たりということが多いですね。
何故でしょう?
直感としてひらめくということも、
頭で考えるのではないところでわかるわけですね。
いわゆる右脳でのひらめきやヴィジョン、イメージの世界。
あるいは第三の目、シックスセンス、第六感のようなもの。
肉眼が外側の世界、物質的な世界を見る目だとすれば
第三の目は内側の世界、目に見えない世界を見る目だとも言えます。
いわゆる超感覚、透視能力とかもこの第三の目と関連しているとも言われてい
ます。
瞑想もこの見えない世界と触れることでもありますね。
禅の瞑想体験でも魔境というのがありますが、そういう感覚が開いていく副産
物のようなもんでしょう。
白隠なども、坐禅の瞑想をしているときに空を飛んだり、居ながらにしてあち
こち見て回ったようなことを書いていますが、臨死体験などでも似たような報
告がなされています。
何を言いたいかというと、この世には目に見える世界と目に見えない世界があ
って、それらを見るのに使う感覚が違うらしいっていうことです。
目に見えないから存在しないとはいいきれないということです。
光学望遠鏡を使っても見えない宇宙でも、
電波望遠鏡を使えば見えてくる宇宙もあるわけです。
左脳でわかる世界と右脳でわかる世界。
肉眼で見える外側の世界と第三の目で見る内側の世界。
考えてわかる世界と瞑想の沈黙の中でわかる世界。
オーラソーマはその左脳と右脳を統合していくツールでもあります。
目に見えない世界への知覚を開いてくれるものでもあります。
私たちの知覚が。宇宙空間と認識しているものは
「目に見えない世界」がこの世界に表現されたものです。
これはいわば「神のからだ」と言ってもいいでしょう。
さらに驚くべき奇跡は、宇宙を存在させる壮大な空間は、
私たちの外側にとどまらないことです。
それは、私たちの内側にもあるのです。
完全に、一部のすきもないほど、「いまに在る」時、
「目に見えない世界」とつながり、
その沈黙と空間を感じることができるのです。
この空間は深さにおいて無限なのであって、
距離においてではありません。
これはすべてを超越した「大いなる存在」の特質です。
The Power of NOW P190