第37号 生命の木 その7
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■ 1. 生命の木 その7(ダート)
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生命の木のスフィアは1から10まであるのですが、そのどれにも属さないス
フィア(セフィラー)があります。
それはちょうど真ん中の柱の1のケテルから6のティファレットに至る、ちょ
うど中間にあり、丸い円が描いてあるだけで、そこからはどのパス(道)にも
繋がっていないし、番号もありません。
http://therapy.tunerz.net/tree_of_life/?bt=031
それは「ダート」、と呼ばれています。
実はダートをスフィアというのは正確ではなく、「非スフィア」、「スフィア
ではないスフィア」と言われています。
実は、ダートは生命の木には位置していない、ともいえるのです。
しかしまた、11番目のスフィアだという説があったり、ビナーとコクマの子
ども(チャイルド)としての意味がある、という説があったり・・・
また、「知識」という名前が付けられていたり・・・
いったいこれは何なのでしょう?
これは「ギャップ」を表しています。
Abyss (深淵)とも言われるし、 unknown(未知なるもの) とも言われてい
ます。
ギャップというのは、ケテルからティファレットに至るギャップ、
ビナーからチェセド(ケセド)に至るギャップであったり、
上部の三角形(ケテル、チョクマ、ビナー)から次の三角形(ケセド、ゲブラ、
ティファレット)へのギャップであったり・・・
つまり、これは天なる世界を下の世界に下ろしてくるときのギャップ、
being (在ること)からdoing (すること)へのギャップ、
純正なアーキタイプから形あるものが創造されはじめるときのギャップ、
神の天なる領域から具体的な経験に至るギャップ、
理論から実践に至る上でのギャップ。
伝統的な解説によると、ダートというのは
「それはあくまで未顕現なのだが、顕現世界に場所を持ち、生命の木の上では
「ダート」(知識)と呼ばれる非セフィラーの位置に置かれる。これは「絶対
者」が存在世界に直接介入するため、自由自在に入り込んでくる場所だと言わ
れている。存在世界は、今でこそ永遠のごとく続いているが、それも「神の意
志」が「ダート」を介して働いている限り存続するにすぎず、やがては「神の
意志」が存在世界を消滅させるときが来るのである。人間の立場からすれば、
「ダート」はどこからともなく生じ、「神」から直接由来する「知識」を意味
するが、これは「知恵」(チョクマ)の叡知的直観とは全く異なっている」
何やら難しい話しで、わけがわからないことになってしまいますね。
私は単純に考えて、「ダート」とは「ハート」だと思っています。
こんなことを書いている解説はないので、私の勝手な解釈です。
「観照する意識」と言ってもいいかもしれません。
生命の木は、この世界をどう見るか、人間をどう見るかというマインドマップ
のひとつです。
マクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)の見取り図なんですね。
ハートはマインドで理解することは出来ません。
だから「ダート」すなわち「ハート」は、マインドマップである生命の木には
表されないんですね。
マインドにとって、ハートはギャップであり、未知なるものであり、深淵なん
ですね。
それは究極的には「無」であり、「空っぽ」のスペースにつながっているんで
す。
生命の木を人間の形になぞらえ見ることもできます。
ケテルが人間の頭だとすると、チョクマとビナーは人間の肩に相当します。
するとダートはちょうど人間の胸の真ん中、ハートの位置にありますよね。
一般には、生命の木の中では、ティファレットがハートだというふうに解説し
てあるようなんですが、ここはタロットのキングの位置する場所であり、すべ
てのスフィアにつながっているという意味でも、スパゲティジャンクションと
しての太陽神経叢に該当する、と考えるべきではないかと思います。
生命の木は、この宇宙、世界、人間を説明するための見取り図(マインドマッ
プ)なんですね。
天(上)なるものをこの地上(下)に降ろしていくには、ハートで受け取り、
下ろしていく必要があります。
しかしそのハートはマインドにとってはギャップであり、未知なる、深淵の世
界なわけですね。
生命の木ではダートとしてしか表すことはできません。
そのマインドからハートへ、ということが瞑想の第一歩なのです。
ハートを感じ、ハートに降りることから瞑想がはじまっていくのです。
「ダート」はそのハートの瞑想の中で理解されるのです。
もう少しオーラソーマについて知りたい方は、
次にお進みください。