第134号 イクイリブリアム、ポマンダー、クイントエッセンス(4)
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■ 1.巻頭エッセイ:
イクイリブリアム、ポマンダー、クイントエッセンス 特集 その4
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前回の特集ではポマンダーを取り上げました。
今回は、クイントエッセンスについて書いてみましょう。
前回、ポマンダーはプロテクション(保護)、クイントエッセンスはインヴォ
ケーション(祈り)のためにデザインされています、と書きました。
では、インヴォケーションとは何でしょう?
このことを理解するには、まずクイントエッセンスのオーラソーマでの位置づ
けについて理解しておく必要があります。
クイントエッセンスという言葉は「精髄、真髄、典型」という意味ですが、そ
れはその色のエッセンス、真髄であり、典型、原型を表わします。
それはクイントエッセンスが、イクイリブリアムのマスターボトルに対応して
いることとも関連しています。
14本のクイントエッセンスはオーラソーマでは、1本の例外を除いて、50
番から64番のマスターボトルに対応しています。
(これらの基本的なインフォメーションについては過去のメルマガでも詳しく
解説していますので、そちらを参考にしてくださいね。
http://aura-soma.jp/basic/dtl_81.html)
それはともかく、それらのマスターボトルに対応しているクイントエッセンス
は、それらのマスターの光線の真髄を伝えているわけです。
そもそもマスターボトルというシリーズそのものも、イクイリブリアムの中で
は特別な意味があります。
それはヴィッキーさんが、そのボトルのメッセージを瞑想の中で受け取る際に、
色だけでなく、それらのマスターの名前も一緒に受け取っていることからきて
います。
しかも、それらのマスターの名前はヴィッキーさんには馴染みのない名前であ
ったにもかかわらず、です。
だって、ヴィッキーさんは、お父さんからのユダヤ教のハシデジズムの伝統を
受け継いでいるわけで、「キリスト」というマスターを認めていないわけです
し、クツミやジュアルクールなどの神智学のマスターにも馴染みはなかったそ
うです。ましてや東洋の老子や観音、ギリシャ神話のパラスアテナ・・・
どうして、そのような名前がこれらのボトルについているのでしょう?
ヴィッキーさんによると、それはそれらの色があるパーソナリティ、人格を持
って現れたようなものとして感じられたようです。
マスターボトルは、すべてがペールカラーでできているわけで(キリストや老
子、ジュアルクールも振って混ぜればペールカラー)、その色のエッセンスが
そのマスターの名前に象徴されるパーソナリティに象徴されているともいえま
す。
ですから、それらのマスターボトルに対応するクイントエッセンスは、それら
のマスターの香りのエッセンスを伝えていると考えられるわけです。
これらの基本的な知識を前提に、クイントエッセンスのインヴォケーションと
いうことの意味を考えると、クイントエッセンスとは、それらのマスターボト
ルに象徴される色のエッセンスにつながる方法である、ということがわかって
きます。
では、どのようにつながるのでしょう?
インヴォケーション、を通してです。
invocation 辞書で引くと、(救いを求める)祈り、祈願とあります。
この祈り、という言葉は非常に誤解を招きやすい言葉です。
これだと、マスターに救いを求めて祈る、というような意味になってしまいま
すが、これでは本来の意味ではないように思います。
そこで、その意味をもう少し詳しく見るために、invoke という意味を調べて
みると、(魔法で霊を)呼び覚ます、呼びかける、という意味があります。
どちらかというと、この「呼びかける」というニュアンスに近いと感じていま
す。
私の感じるところだと、クイントエッセンスというのは、その色のエッセンス
に波長を合わせるための色と香りのチューニングフォーク(音叉)のようなも
のだと思います。
マスターの名前に象徴される、目には見えない存在、ある色のエッセンス、そ
の繊細で微妙な存在の波長に合わせていくことを、このクイントエッセンスは
助けてくれるのです。
そのような存在にハートを開いていくことを助けてくれるものが、このクイン
トエッセンスです。
クイントエッセンスは、アストラル体とエーテル体のより微妙なオーラの領域
に作用すると以前に説明しましたが、そのような微妙な波長に合わせていくこ
とを助けてくれるわけですね。
人間はこの肉体をもって存在していますが、同時に魂があり、霊的な存在でも
あります。
その霊的な存在であることに、もっと意識をもたらしていくことを助けてくれ
る道具ともいえるかもしれません。
マスターという存在に出会ったことがある人であれば、体験があるかと思いま
すが、そのような人は人間としての肉体を持ちながらも、瞑想であれ、愛であ
れ、至福であれ、人間としての究極の可能性を感じさせてくれるような存在で
もあります。
そして、そのような存在は、肉体を持っていなくとも存在しているような存在
でもあります。
ある意味では、クイントエッセンスというのは、そのような存在の可能性に自
分自身を開いていくことを、助けてくれるものともいえるかもしれません。
祈りというと、prayer としての「祈り」という言葉が一般的ですね。
普通、「祈り」というと、困ったときの神頼みで、いろんな自分の欲望で神様
におねだりをしたり、困ったときに神様に助けてください、ということが祈り
だと思ってしまいがちです。
でも「祈り」というのは、究極の愛の形だとOSHOは言っています。
彼は、愛には、セックス、愛、祈り、という3つの段階があるといいます。
普通、私たちが愛と言っているのはホルモンの作用で、セックスの情熱に過ぎ
ない、と。
それを超えたところに本当の無私(エゴのない)の愛があり、さらに存在に自
分を明け渡していくという祈りという愛の形があると。
インヴォケーションでの祈りというのは、存在に自分を明け渡すという愛の祈
りとまではいかなくとも、より高い存在に波長を合わせていくことことで、本
来の自分の内側にある霊的な存在、霊的な部分に気づいていく、ということな
のだと思います。
キリストというクイントエッセンスであれば、キリストが生きた愛のエッセン
スを体験することにつながっていくでしょうし、老子と観音であれば、タオの
瞑想と観音の慈愛、ということの体験につながっていくことを助けてくれるで
しょう。
と、少し大げさなことを書いてしまったかもしれませんが、クイントエッセン
スは、エーテル体やアストラル体のオーラのエネルギーのバランスを取ってく
れるものである、といった単にエネルギーレベルでの作用もありますので、た
だそのように使うことも、もちろん可能です。
その人の目的と感受性によって、クイントエッセンスはさまざまに使っていく
ことができるものですので、それぞれの皆さんが自分の直感と大いなる内なる
ガイドに従って使用されることをお勧めします。
次回の特集では、ポマンダーとクイントエッセンスの選び方、ということにつ
いて書いてみましょう。
尚 記
もう少しオーラソーマについて知りたい方は、
次にお進みください。