第355号 【パリさん】:カラーローズ—レッド・グリーン軸
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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:カラーローズ——レッド・グリーン軸
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ぱりさんのカラーローズ。
カラーローズはここで見ることができます。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/
オーラソーマは、色の言語で人間心理や意識を読み解いていきます。
それぞれの色がどのような意味があるのか?
そのことを自分なりに考えてみるのは、とても意味のあることです。
覚えようとするのではなく、自分の頭で考えてみる。
そういうヒントとしてぱりさんのカラーローズを読んでみると、そこにはさま
ざまなヒントがあることがわかります。
では、ぱりさんのカラーローズ、楽しんでください。
尚 記
…………○…………○…………○…………
ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者的な立場か
ら眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;
オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”に見立て
て、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。
ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでお付き合いいただければ、案外、面白
がっていただけるかもしれません。
私たちは“現れ”の世界に生きているわけですが、この現象世界が存在できる
ために最小限守るべき約束事みたいなものがあります。
といってもそんなに大袈裟な話ではなくて、ごく単純なことです。^^;
それは“現れ”の世界は、知覚できなくてはならないということです。(^^;)
なーんだバカみたい、そんなの当たり前じゃん、と言われるかもしれませんが、
でもそのために“現れ”の世界はある程度の構造的な制約を受けます。
その“構造的な制約”の名前を、「二元性の原理」といいます。
つまり知覚の対象となるために、“現れ”の世界(つまり、その個々の現象)
は、対立する二つの極の間で揺動する変化でなければならないのです。
そのため、“現れ”の世界は、
1.“永遠の変化”(なぜなら、「不動」は知覚対象になれないからです)
2.“相対立する二極間の変化”(一方向への変化は「不動」と同じです)
でなければならない、という制約を課されることになりました。
“現れ”の世界には、そのあらゆる細部に至るまで、この「二元性の原理」が
浸透しています。
まあ、気にするほどの制約でもない、とも言えるのですが……。
でも、時と場合で、結構しんどい、ということもあるかもしれません。(^^;)
なぜなら、“現れ”の世界には厳密に「二元性の原理」が貫徹しているので、
じつは「現象世界」は全体として<ひとつ>でしかありえないからです。
それでいいじゃない、<すべてはひとつです>というのは、最近のスピリチュ
アルな理解では常識でしょ、とおっしゃるかもしれません。
ええ、そうなんです……そうなんですが、これが場合によってはなかなか厳し
いかもしれません。
というのは「現象世界」には、“部分”というのはあるようでもあり、ないよ
うでもあり……そこのところがなかなか微妙だからです。^^;
「現象世界」に“部分”は存在しえない、ということが現象宇宙の津々浦々ま
で常識として完全に行き渡っているなら何も問題はないわけですけど……。
でも、もしそうなっていない場合は、「二元性の原理」を一種の“拘束”とし
受け止めるような幻想が起こるかもしれません。
そのような幻想の中では、「二元性の原理」はまるで恐ろしい“閻魔大王”の
ように感じられるかもしれません。^^;
もっとも、いつまでも“閻魔大王”でもないだろうということで、このごろは
「二元性の原理」の番人は「バランスの法則」と呼ばれます。
現象世界の構造そのものの基盤ですから、そこに手加減も恣意性もまったくあ
りえないので、そういう名称の方が客観性を表現できますよね。
ちょっと、脱線しました。
というわけで、「二元性の原理」は現象世界を貫徹する原理なので、現象世界
を創造した“意図”をも厳然と拘束しています。
なので宇宙を創造した“人間心理”の元型にも、構造として“欲望対”が最初
から組み込まれているわけです。
これを「カラーローズ」の“補色軸”と呼んだのでしたね。
「カラーローズ」に現れるような“欲望対”は、たぶん深い構造を内包した、
いわば“根元的欲望対”になるはずです。
では早速、具体的に見ていきましょうか。
「カラーローズ」の12方位には6つの“補色軸”がありますが、これまでそ
の内の「ブルー」と「イエロー」の原色を含む2つの補色軸を見ました。
そして暗示する意味の包含を連想して、それぞれを、
・【ブルー・オレンジ軸】 =【独存・依存軸】
・【イエロー・ヴァイオレット軸】=【好奇・脱出軸】
と定義してみたのでした。
さて今回3番目に取りあげる補色軸は、もちろん第3の原色「レッド」を含む、
・レッド <=> グリーン補色軸 = レッド・グリーン軸
です。
◎←ブルー
ロイヤルブルー→○ ○←ターコイズ
ヴァイオレット→○ ●←グリーン
・
・
・
・
マジェンタ→○ ○ ○←オリーブ
・ グリーン
・
・
・
レッド→● ◎←イエロー
コーラル→○ ○←ゴールド
○←オレンジ
カラーローズで8時の位置を占める“第3の原色”「レッド」がどんな心理で
あるかについては、以前連想を綴ったことがあります。
http://www.aura-soma.co.jp/newsletter/backnumber/dtl_714.html
そこでの連想では、「レッド」は、「イエロー」の“個別への意志”を引き継
いで、永遠の変化を起動した“生命への熱情”と定義したのでした。
“現れ”の世界は、「ブルー」が許容し、「イエロー」が意図し、「レッド」
が熱望することによって実現した世界でした。
つまり単なる“許可”と“意図”だけでは、物理的実体をもつ現象世界は創造
できなかったということです。
物理次元の誕生には、強く強くその実現を“熱望”することが必要でした。
このいわば“力業”を担当したのが「レッド」です。
つまり「レッド」が担ったのは、“後先を顧みずに”ひたすら目的の実現に向
けて想念を集中する、そのエネルギー集中の強さだと言えるでしょうか。
「レッド」こそが現象世界という巨大な永久機関を牽引する蒸気機関の大車輪
を、最初に回転させる馬鹿力を出したエネルギーでした。
ただです、「レッド」がそれほどまでに一心不乱に欲望に集中できるためには、
その背後に、それゆえにこそ看過された何かがあったかもしれません。
その「レッド」に看過されたエネルギーこそが「カラーローズ」における対極
の志(=人間心理)であり、エネルギーであるはずです。
まっしぐらに自らの目的に向かって邁進する「レッド」の“実現力”は、すば
らしいものです。
しかし、その欲望の実現の果てに、「レッド」が見る光景はどのようなもので
しょうか。
まさに「レッド」は、自分が看過したもの、自分が無視したものに出会わなけ
ればならないはずです。
いったい、自分は何のためにこの欲望の実現を願ったのだったか、と。
自らの欲望の実現が、当人が願った結果をもたらすとはかぎりません。
いや、むしろ、ほとんどそういうことは起こらない、と言った方が事実に近い
かもしれません。
ある禅の師家は、「願いはかなう、結果は化けて出る」という言葉で、そのへ
んの消息を伝えています。(^_-)
なぜなら「レッド」がどれほどのひたむきさで欲望の実現を熱望したとしても、
その結果はかならず「バランスの法則」のもとで意味を結ぶからです。
「レッド」は欲望の実現の果てに、その結果自分がどこに到達したのか、その
位置とその意味を確認する必要に迫られることでしょう。
はて、私はどこにいるのか、この状況は全体のなかでどのような意味を持って
いるのか、と。
それこそが、
・レッド <=> グリーン補色軸 = レッド・グリーン軸
で「レッド」の対極にある「グリーン」の位置です。
カラーローズで2時の位置を占める“二次色”「グリーン」がどんな心理であ
るかについては、以前連想を綴ったことがあります。
http://www.aura-soma.co.jp/newsletter/backnumber/dtl_707.html
このなかで「グリーン」の心理を、「見晴らしへの願望」、(周囲の個との)
「調和の欲求」と定義してみました。
これは何を意味するでしょうか?
それは“現れ”の世界で物事を実現する“熱望”の対極に、その欲望がもたら
す結果の意味を<全体>のなかで確認する人間心理があるということです。
なぜなら、この“確認”作業がなくては、「レッド」は自分の“熱望”が何を
実現したかをすら、知ることができないからです。
ところが、ここに不思議なことがあります。
それは、この“<全体>のなかでの意味”を確認する、理解するということこ
そ、まさに「レッド」の“熱望”が看過し、無視した観点だからです。
その観点を無視したからこそ、「レッド」は「二元性」が支配する“現れ”の
世界でものごとの実現を熱望できた、とさえ言えるかもしれません。
“現れ”の世界とは、その隅々まで「二元性の原理」が貫徹する世界です。
現象世界は、厳格な「バランスの法則」の統治下にあります。
それがどれほど厳格かを想像するには、たとえば、“盥(たらい)の中の水”
をイメージしてみるのがいいかもしれません。
“盥の中の水”がどれほど活発に流動しているように見えても、じつは、その
水は盥の外には出られません。
“盥の中の水”に、どれほど微かな意図的な動きが加わったとしても、“盥の
中の水”は、<全体>としてその動きに対応しなければなりません。
盥の外に、その動きを放り出すことはできないからです。
多次元宇宙はあまりにも広大なので、それを“盥の水”に喩えるのはちょっと、
と思われる方もいるかもしれませんね。(^^;)
でも、ここで“盥”は大きさの比喩ではありません。
ここで“盥”とは、現象世界の構造そのものを拘束している「二元性の原理」
の比喩です。
どんな“意図”も、どんな“欲望”も、<全体>に影響をおよぼし、<全体>
のなかで、その欲望の波及を収束しなければならないのです。
おそらく、インドの覚者Oshoの次の言葉は、そのへんの消息に触れたものでは
ないでしょうか……。
「あらゆる欲望は狂気だ。欲望そのものが狂気だ。
何故なら欲望とは未来に生きることであり、未来など存在しないからだ。」
「仏陀の信頼とは、どんなものを要求しようと間違うことになるという事実の、
深い理解のことだ。」
(-||-)
もちろん、多次元宇宙のなかには、直接その影響が<全体>に及ばないような
局地的領域(=自由意志圏)が設定されているという可能性はありえます。
しかしそれは“盥の中に水”に小さな“あぶく”が混入している、という程度
の話でしかないでしょう。
要するに、“現れ”の世界のなかでは、何らかの動きは厳密に“現れ”の世界
<全体>がその意味を確定しなければならない、ということです。
「レッド」の対極に位置する「グリーン」の心理は、「見晴らしへの願望」や
「調和の欲求」として、最初から構造的に組み込まれているものでしょう。
というのは、“現れ”の世界での物事の意味は、個々の心理の位置が恣意的に
創造できるものではないからです。
“現れ”の世界での物事の意味は、かならず<全体>のなかで確定します。
では「レッド」の“熱望”は、自ら実現したものの意味を、ただ素直に確認し、
理解できるでしょうか?
いや、おそらく、それは無理でしょう。
それが無理だからこそ、「レッド」と「グリーン」は「カラーローズ」のなか
でひとつの「補色軸」を構成しているのです。
では、「レッド」に無理なこととは何か?
それこそが「グリーン」が表している人間心理であるはずです。
きっとそこには、意味の“確認”、意味の“理解”という言葉では表しきれな
い何かがあるかもしれません。
意味がわかるとは、どういうことか?
“現れ”の世界で人を殺してしまった人は、どうすればそのことの意味を理解
できるでしょうか。
おそらくそれは、その人にそのことの“<全体>としての意味”が起こったと
きだと思います。
では、もう一押し、その人にそのことの“<全体>としての意味”が起こると
したら、それはどういうときでしょうか?
それは、その人が自分がしたことの意味を確認し、理解して、それを受け入れ
たときではないでしょうか。
意味の“確認”、意味の“理解”という言葉では表しきれない何か、それは、
“受容”という言葉によって、十全に表現されるかもしれません。
そしてそれが納得されれば、「レッド」の“熱望”がけっしてそれ自体で独立
して存在できるエネルギーでないことも自明になるはずです。
「レッド」の“熱望”がまっしぐらに突き進んだのは、何者かに受け入れても
らうためだったと言えば、その意味が伝わるでしょうか。
「レッド」の“熱望”が看過し、無視したもの、想像することすらできなかっ
たもの、それは現状を“受容”することでした。
しかし、「レッド」の“熱望”が潜在的に秘かに待望していたことも、同じく
“受容”だったというわけです。
これで、だいたい、“レッド・グリーン補色軸”がどのような極性の対立軸で
あるかが判明したようです。
「カラーローズ」の
“レッド・グリーン補色軸”とは
“熱望・受容”軸
と表現できるのではないでしょうか……。
この同じ極性は、“男性・女性”、“攻撃・降参”、“集中・抱擁”などとい
ったさまざまな極性としても表現できるかもしれませんね。
そしてたしかに、“お母さん(女性原理)”もまた、自分ひとりでは存在でき
ず、言うことを聴かない“やんちゃな子供”を必要としているのでしょう。
ただ、“レッド・グリーン補色軸”の一方の極性“受容”は、もしかしたら、
“現れ”の世界からの脱出の可能性さえ暗示しているかもしれません。
なにしろ、「レッド」がこの現象世界を起動した、とここでは想定したわけで
すから……。(^_-)
「カラーローズ」の「補色軸」の相互補完の形は、それぞれ似ているところも
あり、違うところもあり、という感じですね。
しかし、「レッド」と「グリーン」も、180度反対を目指しているようであ
りながら、じつは、裏側ではピッタリと相互補完していたんですねぇ。
二元性の世界での“欲望対”とは、そのようなものなのでしょう。
次に機会があったら、また別の“補色軸”を眺めて、勝手な連想を楽しませて
いただくかもしれません。
いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定された見解では
なく、「オーラソーマ」がゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」と
いう素晴らしいツールに触発された、まったく自由な立場からの連想です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>
pari 記
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