第273号 日本とオーラソーマ ドミニク・ヨーマン
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■ 1.巻頭コラム:日本とオーラソーマ ドミニク・ヨーマン
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毎年、日本に来日しているオーラソーマティーチャーの目で見た日本、ってど
ういうふうに見えているんでしょうか?
その人の社会的な背景や文化的な背景が変わると、同じ物事に対しても見方や
見え方が全く変わってきたりします。
日本を客観的に見るには、外国人が日本をどのように見ているかということを
知ることも一つの方法です。それで日本にいては当たり前だと思っていたこと
にあらたな発見があったりもします。
学生時代に日本企業に勤めていたアメリカ人と知り合いになったのですが、飲
み屋に飲みに行っても、彼は日本語を勉強するために常に日本語を話していた
ので、彼は1年で日本語が流暢に話せるようになり、私の英会話は全く上達し
ませんでした。
それはともかく、彼は骨董屋が好きで、よくつきあったりもしましたし、彼の
部屋に遊びに行くと、何か日本っぽい、かといって日本でもない、というよう
なデコレーションが施してありましたが、そこで気づいたのは、彼らは自分の
文化にないものを日本に見ている、ということでした。
日本の伝統というのは日本人にとっては当たり前すぎて見えなかったりするの
ですが、それが彼にとっては日本に求めているところなんですね。
まず何千年も続いている伝統がある、ということだけでも彼らにとってはすご
いことなんです。
日本やヨーロッパに比べれば、アメリカには伝統がありませんから、それがあ
る意味彼らにとってのコンプレックスであったりもします。
日本人はすばらしい伝統を持っていたのに、それが日々失われていくのは残念
なことです。
私たちが西洋化し、学校で教えられてきていたもの、西洋化して喜んでいたも
の、そういうものはある意味アメリカ人の目から見れば興味の対象ではないし、
尊敬の対象ではなかったんですね。
そして実は日本の独自性や文化はある意味で当たり前に思ってしまっているよ
うなこと、日本人として古いもので価値が無いと思ってしまっているものの中
にあるんだということ、そういうことを彼から学びました。
ドミニク先生は日本をどのように観察しているのでしょうか?
それも日本を映し出す鏡になってくれそうですね。
尚 記
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○日本とオーラソーマ○
私は、オーラソーマはなぜ日本でこれほど人気があるのか、とよく聞かれます。
以下に示すのはそのひとつの考えです。
下に述べた考え方のなかには日本人全体には該当しないものもありますし、ま
た日本は変化しつつあります。にもかかわらず、私はこの考えは、すべての日
本人が生まれもった伝統的な生き方だと思います。
このアイディアは、今月のはじめ、私が京都に滞在しているときに見惚れた、
ある石垣にインスピレーションを受けたものです。私がいたのは京都のはずれ
の森に近い丘の上で、伝統的な風景が広がる領域でした。ここにその石垣があ
りました。
日本では、すべての石がピッタリはまっています。
それらは小さな石ではありません。すべての石が原形をとどめた独特の形であ
るのがわかります。しかし、この石垣全体としては緊密に組み合わさっている
のです。もし一つの石を取り除いたら、それに代わる他の石は簡単には見つけ
られないでしょう。このことは日本の社会について、いくつかの重要なことを
語っています。
まずそれが語っているのは、この石垣は多大な配慮のもとに建造されたという
ことです。ひとつ一つの石が入念な配慮と注意のもとに配置されており、石の
縁(へり)はぴったりと合うように細かく調整されています。これらはマジェ
ンタの資質——細部への配慮と注意——です。
大量生産の定型煉瓦の方がずっと簡単で速かったでしょう。しかし日本では、
物事はその固有の資質のゆえに尊重されます。元々の形が大切にされ、互いを
尊重し合うのが最優先なのです。
私は一度日本の友人に、歯並びを矯正する矯正ブリッジにしては、と尋ねたこ
とがあります。彼女は、歯は両親からの贈り物なのでそのまま大切にします、
と答えました。
石垣の方が、石より重要なのです。石垣のなかのどの石も他の石に変わること
を求めず、それぞれがそのままそこに収容されるか、あるいはせいぜい、後か
らでは思い出せないほどの小さなかけらを切り落とすくらいなのです。これは
社会に非常な強度を与えますが、同時に、全体を動揺させずにはひとつの石も
取り除けないことになります。
これは日本社会に住む個人の真実でもあります。
彼らは人口何百万何千万という都市に住んでいます。毎日、どの時間のどの列
車もほとんど満員です。人びとはいっしょに移動します。人びとは大量の仕事
をこなすことを期待されています。慣習的には自分の上司がまだ会社にいるの
に帰宅すべきではありません。
誰もが社会のなかでの自分の位置を知り、他の誰に対しても相応の態度をとる
べきなのです。となると、個人のための余地はどこにあるのでしょう? 外側
にはあまりその解答はありません。「出る杭は打たれる」というのが伝統的な
日本の諺です。
しかし、ここがオーラソーマが何かを提供できる場所なのです。それは自分の
内的世界を育成し探求するための、無理強いしない、優しい、私的な方法を提
供します。外側では自由ではないかもしれませんが、内面では成長することが
できます。自分の内なる姿をより良く知ることができます。石垣のなかの石の
ように自分の固有性を見いだし、それを意識的に人生にもたらします。
マイク・ブースは以前は陶器の制作について話をするのが好きでした。ろくろ
の上の自分の手のなかで、まるで壺が歌っているようなときがあったと。そこに
生き生きとした内的な資質があったのです。
オーラソーマは、この生気を個人の人生にもたらします。
そして日本では、このことは本当に非常に高い価値があるのです。
ドミニク・ヨーマン 記
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○イクイリブリアムジャーニー~色と数字に隠された真実○
あなたは、これまでイクイリブリアムの全シーケンスのリーディングが、どれ
ほどのものになるか考えたことがありますか? 4本のイクイリブリアムボト
ルで、ひとりの人の人生と可能性を洞察するのに充分なのですから、107本の
ボトルのリーディングがどれほどのものになるか、ちょっと想像してみてくだ
さい。
私はイクイリブリアムのシーケンスは、すべてのなかで最大の教師だと思って
います。この色と数の秩序に隠されているのは成長のメッセージであり、また、
私の確信では——ヴィッキー・ウォールに啓示を与え、彼女の手を導いて最初
の色のコンビネーション・ボトルを生み出した——意識の全視野に対する洞察
です。
このコースは——B0から始まってB106まで進む——イクイリブリアム・
シーケンスを旅します。一度に10本ずつを取り上げ、このコースではイクイリ
ブリアムという書物の各章を探求します。それぞれの章がテーマをもち、それ
ぞれのボトルが、この書物の1ページなのです。
色と数は、この探求のきわめて重要な道具です——このコースのサブタイトル
を「色と数字に隠された真実」というのはそのためです。これらは多年にわた
って私が深く関わってきた2つの主題であり、1992年に「最初の22本の宇宙レ
ベル・リーディング」という主題で私が2000語のエッセイを書いて以来、私は
二十年近くにわたってこのコースを準備してきたとも言えるでしょう。しかし
このコースは、色と数字だけにかぎられるのではなく、ボトルの名前や関連す
るタロットの絵、生命の木の位置などにも言及します。
「イクイリブリアムジャーニー」は、オーラソーマ・シーケンスのなかに隠さ
れたより深い魅惑的な物語を開示することで、イクイリブリアム・シーケンス
への驚嘆の念を刺激するようにデザインされています。色、数、より大きなイ
クイリブリアムの全体像、そしてオーラソーマシステムを学ぶことを望む方に
は、これは理想的なコースです。
日程 2009年10月10日(土)~12日(月) 全3日間
会場 大阪 中央区民センター
費用 73,000円(参加費、テキスト、修了証、通訳、税込)
※オーラソーマのレベルを持っておられなくても、どなたでもご受講いただけ
ます。
問い合せ先 PremSashaオーラソーマ・サウンドレゾナンス&レイキスクール
http://www.aurasoma-kansai.info/dominic.equilbrium.html
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