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オーラソーマ4本ボトル・ミニリーディング(無料)

巻頭エッセイ


第48号 クイントエッセンスとマスター

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■ 1. クイントエッセンスとマスター
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クイントエッセンスの説明にあたって、これはマスターボトル(50番から6
4番のボトル)に対応するので、ではそのマスターって何ぞやっていうお話を
以前にしました。

そうしたところ、アストラル体がうんちゃら・・・ではなく、もっとレベル1
で習うような、普通の説明をして欲しい、という要望が読者の方からありまし
た。

うーん・・・とそこで考え込んでしまったわけです。

そうですよねー。

喫茶店のマスターならみなさんもなじみはあるんでしょうが、キリストやジュ
アルクールのマスターがどうのって言われても、それが身近なものとして理解
できなければ意味がないですものね。

マスターって、日本語に訳すと

師匠。親方。集団の責任者経営者。主人・・

昔の日本には禅師だけではなく、大工の親方とか将棋の師匠とか、お茶やお花、
踊りの師匠とかがいて、弟子達はその技術や教えだけではなく、その生きざま
を学んでいたんですね。

実際、本当の教えというのは言葉では伝えられないので、弟子たちはそのコツ
や本質を師匠や親方から盗んでいたんですね。

そこがいわゆる先生、ティーチャーというのと師匠や親方、マスターとの違い
です。

でも最近は師匠という人はほとんどみかけなくなって、先生だけになってしま
いました。

まだ先生がいればいい方で、最近ではコンピューターから学ぶようです。
これも時代の流れなんでしょう。

それはともかく、能の師匠であった世阿弥はその師匠からの学び方の基本を、
守破離、という言い方で表しています。

守。師匠のことを真似しながら、所作や型など、教えられたことをそのまま守
る時期。

破。教えられた型にはまらず、教えを破ってでも、自分の独自の境地を切り開
く時期。

離。そしてそのどちらにもとらわれない無心の境地。

弁証法でいうところの、正反合に近いですね。

これを見てもわかるように、マスターというのは、最初は外側にマスターを求
めるのですが、次には自分自身のマスターとなり、そして最終的にはエゴのな
い状態に至るわけです。

その芸ないし道において、エゴのない無心の状態に到達し、その境地に人を導
く。
実はそれがマスターのマスターたるゆえんなのですね。

マスターは、そういう無心の境地を体得したが上にマスターとなったわけで、
ただその境地を体得する過程では自分にあったやり方があるので、自分のやり
方を見いださなければならないわけですが、そのことを極めたときには、同じ
無心の境地に至るわけですね。

ではオーラ・ソーマのマスターボトルやクイントエッセンスでいうところのマ
スターのエネルギーってどういうことなのでしょう?

アストラル体がうんちゃらくんちゃらという説明ではなく、一般的なイメージ
で普通に考えると、マスターのエネルギーというのは、自分の生き方、価値
観、本質的なものがあって、マスターのエネルギーを取り入れて、もっとフォ
ーカスしたいものに注ぎこんでいくために使うというイメージで考えられてい
るのかもしれませんね。

たとえばヒラリオンを使うとした場合に、自分にとって本当にやりたい事はな
んだろう。真実ってなんだろう。そして、決断しなきゃいけない事が沢山あっ
て、困っているときなんかに、自分の真実(核)がわからないと、決まらな
い。方向性をはっきり見極めたい。何か、ヒントを引き寄せたい。だから、ヒ
ラリオンを使う、とか。

オーラ・ソーマになじみのない人は、ヒラリオンなんて言ってもどこの誰だか
わかりませんよね。
(ちなみにヒラリオンについては 
http://www.aura-soma.co.jp/aura/b053.htm)

そこで身近な例で考えると、現代におけるマスターっていうと、映画スターと
か歌手がマスターのような存在になっちゃっているようなので、そういう例で
説明した方がわかりやすいかもしれないですね。

私のわかるところでいいますと、松田聖子でも山口百恵(古すぎる?)でもい
いんです、この際。

最近は娘さんまでも巻き込んで週刊誌でも話題となっている松田聖子の場合、
いつまでも自由でいたい、美しくありたい、歌いつづけたい、スターでいた
い、ポジティブでいたいというエネルギーがあるようです。

かたやほとんど週刊誌の話題からは姿を消し、たまにしかみかけない山口百恵
には、自分の社会での役割が終ったら、今度は家庭を持ち、母として静かに、
深く生きていくっというようなエネルギーがあるようです。

そして聖子ちゃん、あるいは百恵ちゃんのように生きたいわぁー、ってこと
で、そういうボトルやエッセンス、聖子ボトル(エッセンス)でも百恵ボトル
(エッセンス)でもいいんですが、そういうものをつけると、あら不思議、聖
子ちゃんや百恵ちゃんのようになっちゃう。

マスターボトルとかクイントエッセンスのエネルギーをつけるというのはそう
いうもんだって思われがちですが、それは最初の段階なんですね。

守破離でいう、守の段階。

次の段階として、自分自身の色を見いだしていくということが必要になってき
ます。

マスターはそのための呼び水みたいなもんなんですね。

井戸なんかで、深い井戸から水をくみ出すときに、なかなか水が出ないとき、
呼び水を使うことで水が出てきます。

だから最初はそういうマスターのエネルギー、とかああいうスター歌手のよう
になりたい、ってことでそれを使うんですが、でもそれは自分自身を見いだし
ていくための呼び水なんですね。

そうすることで自分の内側にあって、自分に気づかなかった自分自身の色に気
づいていくわけです。

マスターやスターはその自分の色を見いだしていくための鏡ないし象徴なわけ
です。

そして自分自身の探求がはじまるわけなんですが、その自分自身を深く探求し
ていったところに行きつくところ。

その究極をマスターは教えてくれているんですね。

それが私自身にとってのマスターの体験でもあります。

最初はあこがれをもってマスターに出会います。

その美しさ、すばらしさに目がくらんでしまうんですね。
あんなふうになりたい、って思うわけです。
自分ではなく、マスターのようになりたいって思うわけです。

しかしマスターは徹底してリアリティを見せてくれます。
そうすることのなかで、自分が描いている幻想や投影に気づかされ、自分自身
のリアリティに気づいていくんですね。

マスターの目を借りて、あるいはそのエネルギーのもとで、多くの次元、あら
ゆる側面についての洞察、理解の一瞥を得ます。

しかしマスターは、私はあなたの鏡でしかない、と言います。

マスターに見いだそうとしていたもの、それはあなた自身のなかに見いださな
ければならないんだということ。

徹底的に自分自身であること、あるがままでいること、そこからはじめるしか
ないのだということを教えられます。

あなたは他の誰になることも出来ない。
あなたは自分自身でいることしかできないのだということ。

そういえば、私が最初の頃にそういうワークショップに出たときに、そのグル
ープリーダーに言われたんですよねー。

「あなたは誰か(somebody)になろうとしている」、って。

「じゃー、誰かになろうとしないようにするにはどうしたらいいのか」、って
聞いたら、今度は、「あなたは誰でもない人(nobody)になろうとしている」っ
て言われたんです。

そうなんですね。
気がつかないうちに自分以外の誰かになろうとしていたんです。

マスターというのは暗闇に光る稲光のようなものです。

その上に光る光だけを見て歩いていると、どぶに落ちてしまいます。

その光は自分自身の道を歩くための一瞥の光を与えてくれるもので、その光で
自分自身の足下を見て、自分自身の道を歩いて行くしかないのです。

マスターは、その暗闇の中でも歩いていく勇気と智慧を与えてくれます。
あるところまでは一緒に手を取って歩いてくれることもあります。
ある意味でいつもそこにいてくれる存在でもあります。

その自分自身の道を歩いて行く方法、それが瞑想でもあるんですね。

マスターというのは、主人、という意味もあります。

それは他人を主人とすることではなく、自分自身を主人とするということなん
です。

そして自分自身の本質を知ったとき、あなたはマスターなのです。

仏陀の辞世の句は、自灯明、法灯明、でした。

マスターの教えを灯火としながらも、自分自身を灯火として、自分自身の道を
歩いていくしかないのです。

そして自分自身であることを見いだしていくこと。

それが魂の鏡としてのオーラ・ソーマの役割といえるでしょう。

                               尚.記

もう少しオーラソーマについて知りたい方は、
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