第666号 【パリさん】:識別作用とは創造過程
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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:識別作用とは創造過程 (2016,8/17 水)
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今回のぱりさんのカラーローズの心理学、
なんだか抽象的で、ちょっと難しい話かもしれません。
カラーローズはオーラソーマの色の言語の基本です。
オーラソーマのカラーボトルは、それを選ぶことで、
直感的に受け取った色のメッセージを受け取り、
自分の必要な色のエネルギーを自分自身にもたらすことができます。
ここでぱりさんが試みていることは、その直感的に、
ボトルを通して受け取っているエネルギーを、意識的に、
マインドでも理解しょうとする試みと言ってもいいかもしれません。
人生を理解するためには、さまざまなマップ(地図)や方法があります。
自分の行きたいところに行くにはマップ(地図)があれば、
便利ですよね。
マップは現実ではありませんが、マップがあることで、自分の位置
がよりシンプルに理解することができ、目的地に行くことも可能に
なります。
人生を表す地図、人間理解の地図として、さまざまなものがあります。
オーラソーマで学ぶカバラやタロット、占星術、数秘術、
チャクラやオーラのサトルボディは、それらのマップです。
このカラーローズも、人間理解のマップのひとつです。
私たちが、なぜ、この世に生を受けて、どのような目的を持って
生きているのか、自分は誰で、どのように生きていきたいと
思っているのかということを、自分が選んだボトルの色を
見ることでわかるようになってきています。
色を選ぶだけで、どうして自分を理解できるのか?
そのヒントが、このカラーローズに隠されています。
私たちはこの世に肉体を受けて
「色」の世界、物質の世界に生きています。
しかし「色即是空」というように、
「色」の世界も「空」の世界に還っていきます。
「空即是色」というように、色もその空から生まれてきています。
その「空」が、自分の存在に気づくことができるのは
「色」の世界を体験することによってです。
「空」とは「意識」でもあります。
オーラソーマのカラーボトルには、
「イクイリブリアムは意識への鍵です」
という言葉が刻まれています。
この物質的な世界である「色」に、
意識的なるための鍵がここにある、という意味でもあるのでしょう。
そんなヒントが書かれてあります。
がんばって読んでみてくださいね。
それでは、【ぱりさんのオーラソーマ】:識別作用とは創造過程
を、どうぞお楽しみください。
尚 記
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オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。
ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでおつきあいいただければ、
案外、おもしろがっていただけるかもしれません。
「カラーローズ」は人間心理のパノラマです。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/
ただ、ここでいう人間心理とは、人間が結果として味わう悲喜こも
ごもの多様な人間心理のことではなかったのでしたね。
「カラーローズ」に展開されていたのは、知覚可能な体験を願った
【意図(欲望・願い)】そのもののひと巡りでした。
それぞれの色相が表す願いを、ここでごく簡単な言葉に焼き直して
再掲してみましょうか。
たとえば、こんな感じです。
・レッド:自己を貫徹したい、永遠に生きたい
・コーラル:育みたい、守りたい
・オレンジ:帰属したい、奉仕したい
・ゴールド:豊かに自足し、自立したい
・イエロー:知りたい、体験したい
・オリーブグリーン:調和したい(葛藤を避けたい)
・グリーン:見晴らしたい、受け容れたい
・ターコイズ:直感を信頼したい、全能でありたい
・ブルー:ひとり安らいでいたい
・ロイヤルブルー:真理を知り、迷いなく決断したい
・ヴァイオレット:抜けでたい、超越したい
・マジェンタ:全肯定したい、無条件でありたい
[注]ピンクとクリアーは色相ではないのでここには入れません。
邪悪な【意図】など、どこにもありませんよね。
その一つひとつの【意図(欲望・願い)】を見るかぎり、どれを
とっても、とても真っ当で、真摯な願いばかりです。
またこれらの【意図(欲望・願い)】は、とても抽象度の高い願い
で、個別具体的に何かを願うということでもありません。
でも現象しようとするかぎり、この枠組からは出られないのです。
そして、これこそが現象世界を支える欲望のパノラマです。
もし、あなたが転生を信じていらっしゃるなら、それは転生を願う
欲望の元型とも言えるでしょうね。
それで前回は、「カラーローズ」は【原因の世界のパノラマ】だと
定義したのでした。
もし、あなたが生涯の最期に、今度生まれてきたら自分はこうあり
たいと願ったなら、その願いはきっと上記のどれかに入るでしょう。
個別の体験を願うとは、これほど純な願いだったのですが・・・。
でも、いったん体験を実現するために現象世界を起動してみたら、
それは意外に厳密な構造を持たざるをえない世界でした。
なぜなら、体験は知覚される必要があったからです。
知覚されるためには、識別されなければなりません。
ところが、これが意外と要求の厳しい条件だったのです。
つまり、何かを識別するためには、それであるものと、それでない
ものを、区別できる必要があったからです。
あんまり当たり前で、何のことやら、ですよね。(*^_^*)
ところが、これはなかなか波乱を含んだ条件でした。
何かをそれとして識別するには、少なくともそれであるものと、
それでないものを、区別する何らかの境界が不可欠です。
しかも、その境界は明確でなければなりません。
境界が曖昧では、区別がつかなくて識別できませんから。
体験を実現するには、見かけを区別する形態的境界と、その形態の
意味を区別する観念的境界が必要なこともわかってきました。
その境界の最も単純な姿が、いわゆる「形」と「名前」です。
ところで、“見かけ”のなかで「形」や「名前」を定義するには、
それを定義する立場、つまり【誰か】の視点が必要ですよね。
つまり、その視点を持つ【誰か】がいなくてはなりません。
でも、いったんその【誰か】がいるとなると、今度はその【誰か】
ではない者がいることを暗示すると思いませんか? (@_@)
ここに定義するという“魔法”の秘密が凝縮しています。
何かを定義するとは、その定義には収まらない何かを創造せずには
できないことだったのです。(>_<)
定義するとはそういうことでした。
本来<ひとつ>であるものに識別を適用し、その一部を他と区別
する定義を許したら、じつは“止めど”などありえなかったのです。
それは“自分”を創造し“他者”を創造する、無限連鎖のトリガー
を踏むことでした。
いったん「形」と「名前」という形態的、意味的定義を許容したら、
それはアッという間に当初の意図を超える大爆発を起こしました。
「形」は物理的時空間として無限に拡大し、「名前」は意味の多重
構造を内蔵した一大観念世界へと連続爆発していったのです。
なぜ、こんなことになってしまったのか? (-_-;)
それは識別作用とはじつは創造過程に他ならなかったからです。
形ある世界で何かを識別すると、それはただちに意味の世界に反映
され、新たな観念を創造していきました。
ということは、識別されたものは、その識別を受け容れるかぎり、
ただちにそのまま現実になってしまったということです。
なぜなら、識別されたものはほんの仮の姿でしたが、識別している
当人が存在することは、間違いないと思われたからです。
こうして起こったことが、いわゆる“神の隠れん坊”と呼ばれる
ことになった出来事です。
今、私たちは、この“神の隠れん坊”のなかに、しかもその一部が
剥がれかけるタイムラインにいます。
だからこそ、多くの人々が、なぜ世界はこんなことになっているの
か、そしてこれからどこへ行くのか、と訝っているのです。
とはいえ、私たちは、まだまだ現象世界での体験ゲームを諦める
つもりはありません。
身体をまとって現象世界にいる磁力は、それほどのものなのです。
最初のうちは、そこはもの珍しく、また(運が良ければ)楽しい
ことばかりかもしれません。
でも、ここである程度の年齢を重ねると、
じきに、そう楽しいばかりでもなくなりますよね。(^_-)
そして、やがては、
いったい自分は何のために生きているのか? (-_-;)
などと悩みはじめるわけです。(*^_^*)
こうして、いわゆるスピリチュアルな探求がはじまります。
まず生きることを求め、そして、それが叶ったら今度は、より良い
生き方を求めたくなります。
ますますより良い、有意義な人生を送りたいと願い、
それを、より良いと感じる体験を求めてなくてはなりません。
人間はいろいろな感情を体験しますが、そういう感情をすべて自分
だと思っています。
明るく、清純で、喜ばしい感情を持つことを願い、暗く、邪悪で、
つらい感情を持つことを嫌うのです。
そしてその明るさ、清らかさ、喜ばしさを味わうこと自体が、他方
では暗さ、邪悪さ、つらさの創造過程であることを意識しません。
そのように体験するさまざまな感情が、すべて自分が発明し許容し
てきた価値観の反映と、その堆積であることを意識しないのです。
明るく清純でありたいと願うことは、暗く邪悪であることを否定
することなしには可能ではありません。
つまり、それはただちに、暗く邪悪なものの存在を前提すること、
それを創造することだったのです。
でもそれは、じつは<ひとつ>であるものに識別を適用するために
想像(=創造)された特徴にすぎないのです。
ところで、自分が持つ価値観は、どのように想像(=創造)される
のだと思いますか?
それがすべて、この身体が自分であるという観念を根拠にしている
ことが、わかるでしょうか? (^_-)
つまり「いい」とか「悪い」とか言っても、それは単に“自分”に
都合が「いい」「悪い」という意味にすぎないのです。
ずいぶん遠まわりして、やっと振りだしに戻りました。
「カラーローズ」に展開されている“人間心理”とは、そういう
判断の根拠となる人間的欲望の元型のパノラマです。
私たちがさまざまな感情を体験しているのは、「カラーローズ」に
無造作に展開されている、この人間的願いの結果なのです。
そして、この意識のビッグバンはじつは毎瞬起こっています。
一瞬一瞬、この元型の人間的欲望のなかで、さまざまな価値観が
識別され、創造され、派生していきます。
その多様な価値観から、さまざまの判断が生まれます。
そして、その多様な判断から、さまざまの感情が起こるのです。
昔は、善人とか悪人というのが存在すると思われていました。
現在でも、そう思っている人たちはたくさんいるでしょう。
でも、それは、いわば子どもの判断力です。
昔は、いい出来事と悪い出来事があるのだと思われていました。
でもそれは、その出来事を、どの立場から見るかの違いにすぎない
ことが、だんだん明らかになってきました。
世界中の膨大な情報が飛び交う今の時代には、他人、特に他の国々
の人々が自分と違った判断をしていることは常識になりました。
今や固定した価値観を持つことは、立派なようでもあり、ちょっと
古いようでもあり、といった印象を人に与えるようになりました。
揺らいでいるのは世間の判断や価値観だけではありません。
自分の価値観さえ、一瞬一瞬、変化しているのがわかります。
「人間万事塞翁が馬」という中国の故事があります。
これは、起こったことがいいことか悪いことか、そんなことは誰に
もわからない、という昔の賢者のあり方を示す逸話でした。
でも今では、ほんとうに、誰もが、起こったことがいいことか悪い
ことかを、そう簡単には判断できなくなってきています。
しかも、あらゆる判断は、より詳細な判断を生みだし、どこまでも
新たな判断を二極に展開することもわかってきました。
つまり、判断すれば判断するほど、新たな判断が生まれるだけだと
いうことです。(*^_^*)
このゲームは、どうやらそうなっているらしい。
まあ、顕微鏡の拡大率を極大化するにつれ、これまで信じられて
きた物質が、すべて雲散霧消してしまうようなものでしょうか。
そして今では、判断の根拠である元型の意図(欲望)自体が、じつ
は相互補完し、かつ相互に背反していることもわかってきました。
どんな元型の意図も対極の意図なしには現象できず、しかも対極が
同時に共存できないことまでわかってしまったからです。
判断とは、そこに焦点を合わせた時だけ現象するもので、実際に
存在しているものではないことが、自明になってしまったのです。
これはまさに量子力学の世界みたいですね。(^^;)
ほんとうに、この「カラーローズ」で展開される“人間心理”の
世界って、いったいどこに向かっているんでしょうね。
(*^_^*)
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこ
へ行くのか』( http://p.tl/0WWA )(-_-)
実際、この旅はどこへ向かっているのでしょう。^^;;
次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。
いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定され
た見解ではありません。
「オーラソーマ」が、ゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーロー
ズ」というすばらしいツールに触発された、まったく自由な立場か
らの連想です。
おつきあいいただき、ありがとうございました。<(_ _)>
pari 記
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