第434号 【パリさん】:カラーローズ—曼荼羅と二元性
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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:マンダラと二元性の原理 (2012,10/24)
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ぱりさんのオーラソーマで語っているオーラソーマの曼荼羅、カラ
ーローズとはこの図です。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/
オーラソーマの色の秘密の鍵が、この図を見るだけで説きあかされ
ていきます。
それはちょうどカバラの哲学のすべての鍵が、この生命の木の図に
秘められているようなものです。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/advance/tree_of_life.html
あるいはまた、仏画の曼荼羅図も、このなかに仏教での世界観が表
されています。
http://goo.gl/sUX4F
そういう意味で、オーラソーマの世界観がこのカラーローズの曼荼
羅図に表されているともいえます。
でも、ボトルが並んでいる図を見ると、ボトルそのものが曼荼羅図
ともいえそうですね。
http://d.aura-soma.co.jp/eqlist/1
それはちょうどカラーローズの曼荼羅図が展開されると、このオー
ラソーマのボトルの曼荼羅図になるともいえます。
そのように考えると、カラーローズの中心にある白い光が、カラー
ローズの12色に展開されて、それがさらにボトルに展開されてい
くようなイメージになります。
それは仏教の曼荼羅図で、大日如来が世界の中心にいて、そこから
多くの仏がまわりを取り巻き、そのまわりにさまざまな人生の様相
が顕われていくという世界の様子が表わされているように、オーラ
ソーマでは色の世界が表わされていると見ることもできますね。
そのように考えると、人間は光でできている・・・ということが、
まずあって、そこからさまざまな色を持ったユニークな存在として
の私たちがこの世の中に生まれてきていることの様子が、このカラ
ーローズの曼荼羅のなかに秘められているということになります。
オーラソーマでは、それぞれの色のメッセージが「色の言語」とし
て説き開かされていきますので、その12の色の言語、そしてその
元となる3原色の色の言語を解き明かすことで、ボトルのすべての
メッセージの基本が解き明かされていきます。
そして、私たちの源である白い光を解き明かすのは、瞑想によって
である、ということになりそうですね。
そのように考えると、オーラソーマがヴィッキーさんの瞑想のなか
から誕生したということの秘密がわかってきます。
オーラソーマのコースが、必ず瞑想から始まるということの意味も
そこにあります。
それでは、ぱりさんのオーラソーマ、「マンダラと二元性の原理」
をお楽しみください。
尚 記
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ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;
オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。
ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでお付き合いいただければ、
案外、面白がっていただけるかもしれません。
「補色軸」も一段落がつきましたから、今回は「カラーローズ」の
新しい切り口を見つけるような話題にしましょう。
「カラーローズ」がひとつの“曼荼羅(マンダラ)”でもあるとい
う話は、お聞きになったことがあると思います。
オーラソーマアカデミーの代表マイク・ブース氏は、マンダラ画家
でもありますよね。
日本人にとって「曼荼羅」は通常、あの円形の仏教絵画のことです
が、西洋世界ではもっと広い意味で使われるらしいですね。
色々な使い方があるでしょうが、いずれの場合も、それがひとつの
“全体像”だということは変わらないだろうと思います。
顕現世界、あるいは森羅万象をある観点から見ると、全体はそのよ
うに見える、という意味での“全体像”ではないでしょうか。
つまり、マンダラとはある観点から見た世界の“すべて”を含んで
いて、その観点で見れば何も漏れていないのだと思います。
そういう意味で言うと、オーラソーマの「カラーローズ」は間違い
なくマンダラでしょうね。
オーラソーマの哲学は、「カラーローズ」にはすべての人間心理が
網羅されていると考えているはずです。
しかも「色」という非常に客観的媒体で表現されていて、二元性と
いうものの全体構造がとても明確に意識化されるツールでした。
対極関係やその意味合いが、想像以上に厳密に相互規定されるよう
なのです。
「カラーローズ」のなかで正三角形の各頂点に位置する三色は、光
で混合(加法混合)されれば無色になるのです。
例えば、「ブルー」「イエロー」「レッド」の三原色を加法混合す
ると、すべての色味を失って透明になるわけです。
その延長上に、正三角形の一つの頂点色と、対する二頂点の中間色
を加法混合すると無色になる、という性質もあります。
例えば、「ブルー」と、「イエロー」「レッド」の中間色「オレン
ジ」を加法混合すれば無色になるわけです。
これが「カラーローズ」の“補色軸”として表現された関係です。
つまり、全体構造のなかでは、正反対に位置する両極が光のなかで
(意識をもって)抱擁すれば“対消滅”が起こるわけです。
全体というものがどういう構造で成り立っているのかが、ある意味
でとてもよく理解できるような気がしました。
これが「カラーローズ」についてよく言及される「二元性の原理」
を照らしだしてもくれました。
「二元性の原理」とは、現象世界の構造基盤に関わる原理です。
簡単に言えば、波動宇宙である現象世界は、対極のペアの間を振動
することで顕現しているということですよね。
一方の極、片側の定義のみでは顕現できないわけです。
一端しかない「棒」は、そもそも存在できないということです。
身近な喩えで言うなら、“楽しみ”は“苦しみ”なしにはありえな
いということで、ちょっと身も蓋もないような話です。(^^;)
“美しい”何かは“醜い”何かとの、“強い”何かは“弱い”何か
との比較なしには存在できない、と。
少し落ち着いて考えれば、これは当然のことなのですが、でもあま
り面白ことではないので、たいていは無視されます。(*^_^*)
そして、ついつい、“苦痛”のない“快楽”や、“貧しさ”のない
“豊かさ”が、あるかのように思ってしまうわけですよね。
多分現代人、特にわれわれ日本人などは、昔で言うなら王侯貴族の
ような“豊かさ”を満喫していると思います。
でも、その日本社会に“貧しさ”は無いのかと訊かれたら、誰でも
「とんでもない!」と答えるだろうと思います。
“貧しさ”が無いどころか、貧富の格差が極大化して、今や貧困に
よる自殺があるほどだ、さえ言われるかもしれません。
つまり、どんな状況のなかでも、われわれは“貧しさ”と“豊かさ”
を発見してしまうわけです。
現象のなかの何かを、別の何かと比較してしまうわけです。
あるいは、別の言い方をすれば、われわれはどうしても“正義”の
ために“邪悪”を求めてしまう、と言ってもいいかもしれません。
まあ、その比較の根っこにいるのが“自分”であり、“自分”から
派生した“他人”だということになるのでしょうが。
オーラソーマの「カラーローズ」は、そういう自他が存在する世界
の“全体像”を映しだしたマンダラだと言えそうです。
ところが、この“全体像”と「二元性の原理」を緊密に連携させた
「カラーローズ」には、とても独自の世界が開けてきます。
ちょっとそのあたりの風景を垣間見てみましょうか。
「カラーローズ」は“全人間心理のパノラマ”だと、このシリーズ
ではこれまで言ってきました。
すると、われわれはみんな人間ですから、“自分”というパターン
もこの「カラーローズ」のなかのどこかに位置するわけです。
当たり前ですよね。(^^;)
自分も人間なので、自分だけは別格というわけにもいきません。
そして当然、自分以外の誰か、“他人”もこの「カラーローズ」の
なかのどこかに位置することになります。
これも、当たり前ですよね。(^^;)
すると、この「カラーローズ」のなかでは、われわれの日常空間と
はちょっと違ったことが起こります。
どんなことが起こるのか? (?_?)
通常われわれは、“自分”を“主体”だと思っています。
そして“他人”を、自分から見た対象世界のなかの一部分、つまり、
“客体”だと思っているわけです。
つまりこの“自分”から見れば、あの人は“他人”だ、と。
ところがこの全体のマンダラ「カラーローズ」のなかには“自分”
もいれば“他人”もいて、両方がそこにいるのです。
それは、明らかです。
なんでそんなこと、いまさら強調するの? (?_?)
と、思われるかもしれませんけど、これってちょっとめったにお目
にかからない状況だと思いませんか?
というのは、この「カラーローズ」のなかでは、“自分”もそこに
ひとつの“対象物”として存在しているということです。
“自分”も現象世界のなかのひとつの“出来事”として、そこにい
るわけです。
これはじつは、普通の日常生活では出会わない光景なのです。
通常われわれが出会う世界のなかに“自分”はいません。
なぜなら、“自分”が見ていると思っているからです。
つまり、日常われわれが出会っているのは、巧妙に“自分”が排除
された世界なのです。
われわれは“自分”の物語についてはよく知っています。
“自分”については、たくさんの過去の記憶を参照して、たくさん
の同情や憐憫や弁解を、即座にかき集めることができます。
自分が自分という人間になったについては、主張したいたくさんの
経緯や原因や歴史を参照できるわけですから。
それだけの理由があって現在、「カラーローズ」のなかに、自分は
こんなタイプかなぁ、と想像される位置を占めているわけです。
そして、自分が知っている他人も、同じように「カラーローズ」の
なかで、自分とは少し違う位置を占めています。
あの人はきっと、ここじゃないかなと思われるような位置に。
その人がその人とという人間になったについては、その人としても、
いろいろ弁解したり主張したい原因や経緯があるわけですよね。
誰もが全員、何よりもDNAと条件付けによって、他にはありえな
い現在の心理的資質をもって誕生しているわけですから。
“自分”も“他人”も、現象世界のなかの必然的“出来事”として、
他にどうしようもなく、そこに現れているのでしょう。
そのことが、“全人間心理のパノラマ”「カラーローズ」のなかで
は、何の努力も必要なく、自明に見えてしまいます。
日常生活の“自分”の視線から見た“他人”たちの世界とは、まっ
たく異なる風景がそこにはあります。
自分もひとつの必然的出来事、他人もそれぞれ必然的出来事だと、
そのことが嫌でもわかってしまいます。(^_-)
どう抗弁しても、“自分”も“他人”も単なる「カラーローズ」の
なかの異なる位置にすぎないことが、わかってしまいます。
“他人”のその位置にも、その位置の資質を弁解したり主張したい
“自分”がいることは、あまりにも自明ですものね。
それが自明にわかってくると、その明晰性の空間にちょっと微妙な
“心理的化学変化”のようなものが起こってきます。
それは、これまで「判断」ということが起こっていた心理空間に、
それに代わる素朴な「興味」が生まれるということです。
これまでなら、他者の反応に対する単なる“違和感”となったもの
が、ある種の新鮮な“関心”に変わるというのか……。
まあ、時代が変わってくるんでしょうね。
不思議ですよね。(-_-)
時代もいよいよ押し詰まっのか、そんな“全人間心理のパノラマ”
「カラーローズ」が、いつの間にか出現していたんですね。
「カラーローズ」って、ほんとにすごいですね。(^^)/
次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。
いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定され
た見解ではありません。
「オーラソーマ」がゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」
という素晴らしいツールに触発された、まったく自由な立場からの
連想です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>
pari 記
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