第61号 嫉妬と愛について
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■ 1. 嫉妬と愛について
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前回のメルマガで、嫉妬についてみなさんの反応があまりになかったので、が
っかりって書いたところ、今回は多くの感想をいただきました。
あぁ、ちゃんと読んでくださっている人たちもいるんだなーって思って嬉しく
なりました。単純ですよね。
みなさんの感想を読んでいると、一言二言の感想をつけるだけでは物足りなく
思ったので、今回は「シェアリングデー」、っていうことで、好き勝手に感想
を書かせてもらうことにしました。
このメルマガで、毎回、それぞれの各ボトルについて、とか、いろんなオーラ
ソーマのことについて自分でテーマを決めて一方的に書いているのは、ちょっ
とものたり なく思ってきていたので、こうしてみなさんの書いてくださってい
ることについて対話ができるのは嬉しいです。その方がオーラ・ソーマの枠を
離れて本音 が書ける気がします。
でも、そうすることで、オーラ・ソーマへの理解がより深まるということもあ
るかもしれません。
にじぐも さん
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今回も”嫉妬”について、自分にかなり思い当たるところがありました。
つい先日、つきあっていた彼と別れたのですが、その彼が「愛しているから
嫉妬する」と言ったのに対して、私は「それは違う。ただの独占欲だ」と答
えました。そして別れました。別れたらどんなに辛く苦しいだろうかと思っ
ていたのに、実際そうなってみると、ものすごい自由を感じました。
OSHOの「愛は自由の中でのみ可能だ」という言葉が身にしみます。
このメルマガを別れた彼に読んでもらいたいです。
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OSHOの「愛は自由の中でのみ可能だ」という言葉についての感想を多くいただ
きました。
真理の言葉というのは、こころの琴線に触れますね。
こういう言葉というのは、古典を読むのと同じで、噛めば噛むほど味がでると
いうか、人生経験を経れば経るほど、多くの意味、深い意味を見いだすことが
できるものです。
その時には、そうだと思ったことが、また別の経験を経ることで、そういう意
味もあったのかということに気づき、より深い体験へと導いてくれる指標にな
ったりもします。OSHO の言葉というのはそういう言葉が多いです。
人を愛するということも、今ある自分の現状から始めていくしかないのです。
若いときにはセックスもあり、独占欲もあり、嫉妬もあるのは当然なのです。
その頃の愛というのはセックスから切り離すことは出来ず、愛を知るためには
そこから始めていくしかないのですから。
でもそのことを十分に体験していかないことには、死ぬまでその次元で終わっ
てしまいますね。
というかほとんど90%、あるいは99%、それが愛だと思ってしまっていて、
それ以外の愛を知ることがないのが現状だと思います。
それはなぜかというと、そのことを十分味わって体験していないか、そのこと
を抑圧してしまっているか、それ以外の愛の次元を知らないか、ということだ
と思いま す。
セックスや独占欲や嫉妬を非難しても解決にはなりません。
それらを非難することはそれらを抑圧することにもなってしまいます。
それを変容して越えていかない限り、同じ次元にとどまることになります。
同じ次元にとどまる限り、そこからの本当の自由は得られないですね。
セックスだけでは虚しいし、独占欲や嫉妬は自分が苦しみ、人を苦しめること
にしかなりません。
そういうことの理解が自分の体験から本当にわかれば、それは愛ではない、と
いうことに気づいていきますね。
でもそのことが本当にわかるまでは、やはり同じことを繰り返していきますね。
悟りを得たらそれはなくなるだろうって思うでしょうけど、そう簡単には悟り
は得られないですしね。
だったらどうすればいいのか?
そういう疑問からいろんなものごとの探求が始まっていきます。
セックスや嫉妬や独占欲ではない、本当の愛への探求が始まっていくのですね。
やまと さん
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前回の「嫉妬とチャクラ」を読んでいて、思ったことを少々書きたいと思い
ます。
私の嫉妬の矛先は恋愛というよりも、自分が出来ないことを簡単に出来てし
まう人に対して、向けられることが多いような気がします。
もちろん、自分でやってみれば、案外簡単だった!なんてこともあるのです
が・・
「嫉妬→挑戦→うまくいく」は良いパターンですが、年をとるにつれ
「嫉妬→焦り→自己批判」になっているような気がします。
そう考えると、焦りって嫉妬の延長上にもあるような気がするのですが、焦
りってどこと関連しているんでしょうねー?
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これはなかなかおもしろい指摘ですね。
確かに、ある意味で、自分が出来ないことを簡単に出来てしまう人に対して嫉
妬するというのは、それは自分にもできるということの証拠でもありますね。
それはある意味投影で、嫉妬を感じるようなものごとを、自分の中にあるもの
として評価できず、人の中に見いだし ているわけです。
だからその嫉妬のエネルギーを挑戦へのエネルギーへと変えることで、自己実
現していくことができる。
自分の中にその才能を見いだしていく。それは嫉妬のエネルギーの変容のひと
つのありかたでもありますね。
そもそもはじめから自分にとって不可能であれば、嫉妬さえ起こらないでしょ
うしね。
自分にもできると思うから嫉妬するわけです。
だから人にできることで、その人に嫉妬を感じれば、その長所は自分の鏡とし
て人に映し出されていることなので、自分にもできるのだと思って挑戦してみ
るのはいいですね。
つまり、オーラ・ソーマでいえば、チャレンジがギフトに変容するという側面
です。
焦りというのは、自分の思い通りにならないというときに感じるような、怒り
のエネルギーに似ていますね。それは自分はこうあるべきなのにという思いと
か理想とか観念とも結びついています。でもそういうことは頭で分類するより
も、まず自分でそのときの焦りのエネルギーを感じてみることが大切です。
そのエネルギーを感じ、それを変容することができれば、それは自己批判には
なりません。そのエネルギーはクリエイティビティに変容することも可能で
す。
でもその焦りから自己批判になると、よけいに自分のエネルギーを浪費さ
せてしま い、できることまで出来なくなってしまいますね。
プレジャ さん
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嫉妬とグリーンが関係すると言うのはスペースの問題を挙げられると納得で
すね。
私の場合、これが体験談になるかどうかは分かりませんが・・・。
うちの親は他所の子供(私と同じくらいの歳の人)を褒め、愛情を向けます
が、我が家三姉弟には全くといっていいほど愛情を向けません。(という
か、ない?)ちっ!という感じです。(苦笑)
三人ともこれがトラウマになり、三方向に突っ走ってそれぞれ問題児。
私はオーラソーマに出会い、自分の存在が許されるということを初めて知
り、どんなに癒されたことか。
そして今までヒーリンググッズを見てもコーラルには興味がなかったのです
が、授業で使ったコーラルのポマンダーの感覚に衝撃を受け、そしてその意
味を知ってびっくり。あぁ、あの衝撃はこれか、と。
それからはあの香りに包まれると安らぎが得られます。
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コーラルというのは自分の中に愛を見いだす智慧、ということでもありますね。
自分の存在が許される。自分自身を愛することができる。自分自身の中に愛を
見いだす。
そのことが本当の愛を見いだすことの始まりですね。
最初は人は愛を外側に見いだそうとします。
それは子ども、赤ん坊にとっては母親の愛、父親の愛がすべてであり、愛は外
側からやってくるものだったからですね。
だから子どもは両親の愛を得るためのすべてのことをします。
そしてそれが教師や周りの人々、思春期になり、ボーイフレンドやガールフレ
ンドからの愛を得ようとします。
でも・・・そういう人たちも愛することを知らなかったりするんですね。
なぜなら、そういう人たちも愛することを教えられてこなかったからです。
それは自分自身を愛することを教えられてこなかったからです。
親にとって子供は一心同体なんです。
子どもは自分と同じ存在だと思っているのかも知れません。
そうしたときに、もし自分を愛することを知らない親だったら、自分の子ども
に愛情を向けないように振る舞うことだってあるかもしれません。
っていうか、たぶん自分を愛することは悪いことで、エゴイスティックなこと
だから、人を愛しなさいと教えられていたのかもしれません。
そうすると、なんか自分の子どもを愛するように振る舞うのは悪いことで、人
の子どもを愛するように振る舞ったりするかも知れませんね。
でも、親にとっては、自分の子どもはある意味、自分よりもかわいいと思える
存在のようです。
そういうふうに振る舞ってはいても、本当には自分の子どもが一番かわいいの
が親の本能でしょうね。
でも子どもにはそんなことはわからないので、他の子どもばっかりかわいがっ
てって思ってしまうでしょうね。
でも実はその親も自分を愛することを教えられてこなかったらそういうふうに
振る舞っているんだなっていうことがわかれば、そういう振る舞いをしている
親に対しても慈愛を感じますね。小さな子どもにとっては親は絶対で神様のよ
うな存在ですけど、でもやはり同じ人間なんですね。
愛を知るには、まずは、自分自身を愛することから始めることですね。
自分を愛することを知らない人は、本当には人を愛することもできないし、人
に自由を与えることもできません。そして人からの愛を受け取ることも難しい
ですね。
teru さん
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「嫉妬がある限り、そこには愛がない。愛は自由の中でのみ可能。」
この言葉がとても響きました。
私は今まさに嫉妬の真っ只中にいるからです。
もともと独占欲が強いと思ってはいましたが、まさか嫉妬してることが愛と
は別物の所有欲だとは思ってもいませんでした。
そしてそこがつながっただけでも、かなり楽になれました。
無条件の愛をハートで本当に感じられた時、エネルギーが動き出すような気
がします。
なので、やっぱり嫉妬はグリーンであり、ハートのチャクラだろうなと思い
ます。なぜなら、そこで学び続けるからです。
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ハートでの学び、を今はされているのでしょうね。
ワドゥダによると、ハートがすべてのチャクラの中心への入り口なんだそうで
す。
すべてのチャクラの中心には空っぽな空間、スペースがあるんですね。
ハートはいろいろな感情が変容していくための鍵をも与えてくれます。
「そしてそこがつながっただけでも、かなり楽になれました。」
といえるあなたは、そのときおそらくハートのスペースにつながることが出来
たのでしょうね。
ハートの瞑想などをされるといいと思いますよ。
それがハートのチャクラを活性化していくのにも助けになります。
パクパク さん
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嫉妬に関して興味がないのではなく、見たくないもの、あるいは自分の中に
は存在しないと思いたいテーマなんだと思います。
「嫉妬がある限り、そこには愛がない」これはいい言葉ですね。
愛にもいろんなレベルの愛があることを感じます。
嫉妬が第1チャクラから第5チャクラまで関連しているというのも
なるほど!と思いました。
日頃自分で消化しきれない感情や
タブーとされていてお話する機会のないテーマなどを取り上げていただける
とおもしろいと思います。
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そうなんですね。
「愛にもいろんなレベルの愛がある」わけです。
っていうか、愛でないものを愛、っていっているのが現状ですね。
OSHOによると、セックス、愛、祈り、という次元があるようです。
でも、それはセックスから始めて、愛、祈り、超意識へと学び続けていく必要
があるようなんですね。
そういうことを『セックスから超意識へ』という本で彼は述べています。
ところで、「タブーとされていてお話する機会のないテーマなどを取り上げて
いただけるとおもしろいと思います。」
ということなんですが、それはどういうタイトルのテーマなんでしょう?
そのタイトルを具体的に提案してもらえると助かります。
聖女 さん
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オーラソーマ通信いつも後で読もうと思ってなかなか読めないでいます
が、今回は、「嫉妬」という言葉に反応して読んでしまいました。
(笑)
OSHOの言葉で紹介されていた、「嫉妬がある限り、そこには愛がな
い」を読んだ瞬間、うなってしまいました。私が、今お付き合いしてい
るであろうという方々に対して、もちろん人によって違いますが、嫉妬
というスイッチが何かの瞬間に入ることがあります。「愛」って存在す
るのでしょうかと思ってしまいますが、存在するから追い求めてしまう
のかなとも思い、勝手に安堵しました。「嫉妬」は私にとっては、一番
身近に感じるテーマでした。ところで、どこを読むと次回のテーマが書
いてあるのですか?
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「愛」って存在するのでしょうか?
みんな愛を求めてさまよっているんでしょうね。
「存在するから追い求めてしまう」・・・
追い求めてしまうのは、どこかでその味わいを知っているのでしょうね。
でもさまよってはじめてわかるんですね。
それは自分の中にあるんだって。
白隠禅師も言っていますよね。
それは水の中にいて、水を求めるようなもんだって。
まぁ、彼は愛についてそういったわけではありませんが・・・
でも求めているものって、意外に身近にあったりするもんですよね。
「次回のテーマ」
それはあなたからのリクエストがあれば、それもテーマとして考えることがで
きます。
次回のテーマは読者のみなさんから募集しています。
茜 さん
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今回の「嫉妬とチャクラ」についてのお話はとても参考になりました。
いままで「嫉妬や嫉みの感情」というものはマイナスイメージ(わがまま・
自己中心的・自分に価値を見出せない的な意味合い)が強いせいもあり、無
意識のうちに感じていた事を意識的に考え、感じ、理解する作業をする事は
自分の中でとても大変な事でした。目を背けていた部分だったので。
まだまだ勉強中ですが「方法や知識」を得ることで、それらの感情がコント
ロールしやすくなるんですね。
ただ、感情のコントロールが上手くいかないと、額の部分に虫がっはいずっ
ているようにムズムズしてどうしようもなくなります。無意識のうちに額を
こぶしでグリグリしていることも。そうなると外に居る事ができなくなって
しまいます。
こういう時はどのようにすればいいのでしょうか・・・?
「チャクラを理解し、それらにバランスとヒーリングをもたらす」
オーラソーマかけだしの私の頭の中は???です(涙)
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まず目を背けていたものに目を向けること。
そこに意識の光を当てることが大切ですね。
それが先週お話ししたセラピスベイのボトルです。
「方法や知識」を得ることは、感情をコントロールするためではなく、それら
を理解し、感じ、友達になるためです。
感情をコントロールすることで感情は変わらないんですね。より反発し、強力
になってしまいます。
でもその感情に意識を向け、理解し、感じ、友達となり、愛することで、それ
らは変容していくのですね。
そういうことをワドゥダは、今回の一連のコースの中で教えてくれました。
つまり、そういうときにどうすればいいかを、ワドゥダは説明し、体験させて
くれていたんですね。
「チャクラを理解し、それらにバランスとヒーリングをもたらす」ということ
まではなかなかオーラ・ソーマでは教えてくれません。
それらに理解をもたらすためには、自分で学んでいく必要があります。
でもバランスボトル(イクイリブリアムボトル)は、そういうプロセスを助け
てくれる一つのすばらしいツールではあります。
実際のそのボトルを使っていくことで体験としてわかっていくことができます。
でもヴィッキーさんのすばらしいのは、イクイリブリアムは「意識への鍵です」
と明確に述べていることです。
この一言でもって、オーラ・ソーマのすべてを物語っているといっても過言で
はありませんね。
オーラ・ソーマを学ぶ人たちはその鍵を手にしているのです。
ではその意識って何でしょう?
OSHOはその意識とは何かということについて教えてくれているマスターなんで
す。
オスギ さん
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オーラソーマの世界に飛び込んで数年たつんですけど、
いまだに「不思議だなぁ」と思っていることがあります。
人によると思うんですが
なぜコーラルのボトルをつけると、一時的に嫌な感情になること
があるんでしょうか?
私はコーラルという色が最初嫌いでした。
だけど自分のココロの傷に気づいてからは
だんだんと受け入れられるようになってきました。
今でも87番を愛用中です。
87番使ってからは、自分は愛されていいんだ…って少しずつ心を開け
るようになったと思うし、一番大きな変化といえば、好きになるタイ
プが変わったこと。
今まで私は不倫とか、コーラルのメッセージの通り
「報われない愛」ばかり繰り返していたんです。
けれど、不思議と既婚者に魅力を感じられなくなりました。
というか、自分を泣かせる恋愛はしない!!と自分を大切に
していこうという気持ちが芽生えてきたんだと思います。
相手ばかりにならずに、自分をも大切にしていける恋愛。
私の目標です。
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オーラソーマがすばらしいのは、実際にそのボトルを使うことで、理屈でなく、
それらのエネルギー的な作用を受けていくことができることですね。
それがチャクラにバランスとヒーリングをもたらしていくイクイリブリアムボ
トルの作用です。
コーラルは自分自身の中に愛を見いだす知恵。
自分自身を愛していくことでもあります。
コーラルを使うことのプロセスで、そのような変化が体験として現れてくるの
はすばらしいですね。
美陽 さん
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いつも楽しく購読させていただいています。
1年以上もただ黙って読んでいるだけでしたが、今回初めて投稿します。
「書くことがないなって感じれば、このメルマガも終わっちゃいますので、
みなさんからの話題提供、お願いしますね。」←この一言に反応しました。
いままでも投稿しようかなと思ったことが何度かあったのですが、
こんなこと書いたら知り合いには私だってわかってしまうかも・・と思って
やめていたのです。(知人の購読率がめちゃ高いので、すみません。)
これからはできるだけ参加するようにしますので、続けてくださいね♪
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一人でも反応してくださる人がいてよかった。
一人もいなかかったら、やっぱり考えちゃいますよね。
これまでオーラ・ソーマのティーチャーとして、超優秀だったコマラが、突如
オーラ・ソーマを引退しちゃいましたが、それは彼女が創始したサウンドレゾ
ナンスにエネルギーを集中するためなんです。それは彼女自身が新しいこと
への挑戦していくことに魅力を感じたから、そういう決断がやってきたんです
ね。
彼女自身すでにオーラ・ソーマは10年以上にわたって教えてきていましたか
ら、オーラ・ソーマでやることはやり遂げたので、オーラ・ソーマでの使命は
負えたという感じなんだと思います。
それでで、突然そういう感覚がやってきたんでしょうね。
それは何となく分かる気がします。
私もすでに10年以上にわたってオーラ・ソーマに関わってきて、ここでこう
してメルマガという形でお伝えしていることも、ある意味、オーラ・ソーマで
何を伝えることができるのかということの挑戦であり、確認でもあり、またそ
れが私にとってのヴィッキーさんとの対話のようなものでもあります。
私もコマラとサウンドレゾナンスもしていますし、ミスティカとはユニオミス
ティオイルのワークもしていますし、サハジとはエオラジェムストーン、そし
てこのたびワドゥダやワドゥドとは「ライフトランスフォーメーション」のプ
ロジェクトも始めたわけで、どんどんやっていきたいことはいっぱいあるわけ
なんですね。
だからもしこのメルマガで伝えることがないって感じたときには、それがこの
メルマガの使命の終わるときでしょう。
でも形は変わっても、やっている同じことなんです。
オーラ・ソーマは色という感覚を通しての意識への鍵だし、サウンドレゾナン
スは音を通しての意識の統合ですし、ミスティカは感じる感覚を通しての愛へ
の道ですし、エオラもクリスタルのエネルギーを通しての意識の拡大です。
「ライフトランスフォーメーション」は直接意識そのものにワークしていきま
すし。
でもこのメルマガの使命が終わったとしても、他のワークを通して、同じ「意
識」ということについてのワークは続いていくでしょう。
「意識」というのは私にとっては永遠のテーマです。
そもそもオーラ・ソーマを日本に紹介することを私に勧めてくれたのはワドゥ
ダなんですが、それは彼女はそういうことについてのすべての体験と研究があ
ったので、オーラ・ソーマの可能性とよさがただちにわかったからなんです
ね。
だから「意識」ということに関し、オーラ・ソーマはその鍵になりうる、とい
うこともよくわかるわけです。
オーラ・ソーマは意識へと至る、色という側面と感覚を通してのひとつの入り
口なんですね。
意識にいたる(気づく)道はいくつもあります。
さまざまな五感がその扉にもなってくれます。
音を通して、感じる側面を通して・・・
瞑想はダイレクトに意識とコンタクトする方法です。
結構、このメルマガも、書くテーマを考えたり、そのための時間を捻出したり
しながら書き続けているわけなんですが、やはりこのようにメルマガのことを
思ってくださる方がいるので、続けていこうというエネルギーも出てきます。
そういう皆さんの気持ちが私にとっての書き続けるエネルギーです。
参加してくださってありがとう。
ローズ さん
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お久しぶりです。
今回、嫉妬の件について反応が少なかったとメルマガにあり、ドキッとしま
した。実は私は帰省中でばたばたしており、一応目を通しましたがよく読ん
でなかったのです。(もしかしたら、同じような状況の方が多かったのか
も?)
嫉妬は、とても大きなテーマだと思います。自分の好きな人が、他の誰かに
心惹かれている様子を見ると、自分に不全感を感じて、とても寂しくなりま
す。そんな時、自分のユニークさ(自分が持っているその人にない特質と価
値)を見いだしを認めるのがとても難しいです。しかし、嫉妬をしていると
きは、愛から離れ所有欲に駆られているというのは、よくわかります。また
思い込みにも苦しめられているというのも実感があります。
その人が誰を愛そうと、自由だし、私を愛さないといけない訳はない。しか
も訳があって人は愛情をいだくものでもない。
こんな難しい嫉妬に対して、チャクラのバランスをとることからアプローチ
するのは、具体的で実行しやすいと思いました。
追伸:すぐに反応がなくても、後で思い当たることもあります。しかも誰に
どうメッセージが届くかわかりません。どうぞ腐らないで(^-^;;)メルマガ
続けて下さいね。いつも感謝しています。ありがとうございます。
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嫉妬ということについて自分自身をよく観察していますね。
その嫉妬を感じるということが第一歩です。
それを抑圧したり、否定したり、批判したり、非難したり、無視しても解決に
はならないんですね。
それはいつまでもそのままとどまります。
嫉妬もひとつのエネルギーなんですね。
そのエネルギーを感じることから変容が始まっていく可能性があります。
それはそう簡単なことではありません。
でもその嫉妬のエネルギーが変容したとき、そのエネルギーは慈愛へと変容し
ていくこともできるのですね。
ワドゥダが教えてくれていたのはそのような感情の変容の錬金術でした。
今ある嫉妬から。今ある愛から始めることが大切ですね。
今ある自分のリアリティからしか一歩は始まりません。
ゆうこ さん
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嫉妬についてのお話、はあぁ。。。参りました。。と思いました。
実は、今まで自分は嫉妬深くないって思ってたんですが大間違いでした。
それから、頭では自分にもいっぱいいいところがあるって思っているつもり
なんですけど、その場になるとそんなことふっとんじゃって、
自分のコンプレックスのために行動できない自分を棚に上げて、嫉妬してっ
て、ほんとしょうがないですよね。
まさか第6チャクラまで嫉妬に関係しているとは思い至らなかったけど、確
かに嫉妬中は妄想モードに突入してますね。
それにしても、その人を好きだと思ったり、嫉妬したり、羨ましいと思った
り、嫌いだと思ったりして、自分の本当の姿を発見していくんですね。
他人は自分の鏡とは本当によく言ったもんです。
でも、人を素敵だと感じるってことは、その素敵な部分も確かに自分の中に
もあるんだよと以前教えてもらって、だいぶ気が楽になって、それ以来その
言葉はなんとなくお守りになってます。
コンプレックスって、嫌で嫌でしかたなくて早くなくしたいと思っているの
に、本当のところ私は、そのコンプレックスがなくなった自分を想像できな
いんです。それくらい馴染んで一体化してしまっていて、もうそれなしでは
自分ではないような、それくらい強固な感じなんです。
いったいどうしたらいいんでしょうか?少しずつハートを開いていったら変
わっていくのかなあ。
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そうですね。本当に他人は自分の鏡ですね。
魂の鏡はいたるところにあるわけです。
「人を素敵だと感じるってことは、その素敵な部分も確かに自分の中にもある
んだよ」というのはOSHOもよく言っていた言葉です。
彼を見ていると、本当に美しいんですね。ビューティフルなんです。
でも彼はよく言っていました。
「私はあなた達の鏡でしかない。あなたが私の中に見るものは、あなたのなか
にあるものだよ」って。
そういうふうにして彼は私たちの可能性を映し出してくれていたんです。
彼はこうも言っていました。
「あなたは虹色なんだから、その虹色のすべてを生きなさい。」
レッドからヴァイオレット、第一チャクラから第七チャクラまでのすべての色
を生きることが人生なんですね。
そう考えると、魂の色は何色かなんて、あまり気にしなくても良くなります。
ボトルに移し出される色は、その時々のあなたを映し出す虹色の鏡ですね。
「コンプレックスって、嫌で嫌でしかたなくて早くなくしたいと思っているの
に、本当のところ私は、そのコンプレックスがなくなった自分を想像できな
いんです。それくらい馴染んで一体化してしまっていて、もうそれなしでは
自分ではないような、それくらい強固な感じなんです。」
これってすばらしい発見ですね。すばらしい洞察です。
この「マインドとの非同一化の大切さ」については、今回のリヴィングエナジ
ーのワドゥダの記事にも掲載されていますね。
そうなんです。
苦しみや悲しみだって、それがないよりあった方がいいって思っているんです
ね。
病気だって、それを自慢していたりします。
そういうものと一体化してしまって、それが自分だって思っちゃっているんで
すね。
それがなくなっちゃうと、自分が誰だかわからなくなっちゃう。
そのことに気づいた時点から、あなたはそのことから離れていく可能性が出て
きます。
それに気づいたということが、自分はそれではないという気づきの第一歩なん
ですね。
それがマインドからハートへの第一歩の始まりです。
マインドからハートへは自分で努力する必要がある。
でもハートからビーング(Being)(存在)へは自動的に入っていく。
これもOSHOの言葉です。
ハートへの第一歩を踏み出してみてください。
ナディ さん
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嫉妬の問題…なかなか書きにくいよな。と思って読んでました。
自分の寂しさが嫉妬に結びつくのか、独占欲が結びつくのか、相手の
すべてを理解したいからなのか…。相手のすべてを理解するというの
は表面的なことで、実は支配欲に結びついてるのかもしれません。
彼が別れたいと言った理由が、なんと「セラピストとかヒーラーとし
て尊敬してるのを恋愛と勘違いした」と言われた私って、いった
い…。当初はまったく彼にセラピーなんてしてなかったのに、その言
い草はなんだ。とは言いたいですが。
なんか支離滅裂な文章になりつつあるので、やめましょう。
Hiromiさんの易が再開されてうれしいです。私は48番ボトルの名前
を看板にしてますが、易で出た卦からきています。
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嫉妬の問題・・・やっぱり書きにくいですよね・・・
見たくない問題でしょうからね。
でもそれがあるんだったら、そこからはじめるしかないですよね。
うーん、そういう勘違い、っていうのはありえますね。
「当初は」っていうと、その後は?
まぁ、セラピストではなくても、関係性のある人たち、たいていみんな相手の
ことをセラピーしちゃってますよね。自分のことはさておいて・・・
つまり・・・あんたのせいでこうなったのよって・・・
その言いぐさはなんだっていう気持ちも分かります。
といいながら笑えちゃいますけど。(すいません)
anna−r さん
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前回のメールから、思ったことをつらつらと・・・。
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なぜなら、ハートではあるがままの相手を愛することができ、相手が自由で
あることを許し、自分自身に対してもあるがままであることを許すことが出
来るからです。
------------
最近、「あるがまま」に疑問を感じます・・・。
ありのままの相手を好きになったとしても、二人が付き合うという事は、
二人の関係性を築いていくことでもあるのではないかと思います。
関係性が発生するということは、少なくとも「自分のまま」ではいられず、
相手に合わせる事が必要になりますよね。
例えば、男性が、仕事が終って家について、「やれやれ・・・」っと
ボーっとしている所に、「きゅうりが安くてねぇー」とか
「もう聞いてよ、うちの馬鹿店長がさぁーー」っと、無邪気にべらべら
女性が話し掛けてきたら、男性としては、腹が立ちます。
あるがままの男性の本音
「少しゆっくりさせてくれ・・・。」
あるがままの女性の本音
「むっつりした顔で人のつくった料理食べて、なにさ!話くらい聞いてよ」
でも、二人はお付き合いしているわけですから、
自分の希望をうまく伝え、おりあいをつけていかなくてはならないんですよ
ね?
ここで、「うるせーんだよ」とか「話聞きなさいよ!」っていったら、
ワガママ。
お互いに過ごしやすくするために、関係性を二人で作りあげていかなくちゃ
いけない。この時、どちらかが、それを拒否したり、築き上げる熱意が
まったく違ったら、これはもう上手くいなかいわけです。
愛だけでは、どうしようもないような気がしています。
------------
「嫉妬がある限り、そこには愛がない」と彼は言います。
愛は自由の中でのみ可能だ、と。
<中略>
ここで彼がいう愛というのは、私たちが通常感じている愛とはかなり違った
次元の愛のことを言っています。
いわゆる無条件の愛に近いものでもありますが。
------------
「無条件の愛」・・・
家族と他人を区別について考えてしまいました。
家族のような関係の場合は、「無条件の愛」がわかります。
例えば、あっちこっち借金しまくる人が家族にいるとして、
家族としては、「怒り」「失望」「哀しみ」「憂うつ」が
つきまといながらも、根底には家族としての愛情があるから、
見放しません。
別の言い方をすると、この家族を選んで生まれてきたのですから、
何か学びがあるんだと思います。この学びも、自分の本質を開花させる
きっかけになるのだろうと思います。
しかし、これが付き合っている男性や夫であったら、
「別れたら?」と思います。
借金の原因が、本人の道楽でなかったとしても
「繰り返す」事に関しては、何らかの問題があるわけです。
ここで「愛」を持ち出してしまうから、「この人は私が救うわ」
とか、「それでも、彼を愛している」という思い込みがスタート
してしまって、泥沼になってしまうケースもあります。
ダメ男が好きなオンナのパターンですよね。
無条件の愛って、家族に対しては受け入れられますが、
他人に対しては、「どこまでが愛なのか?」ってわかりません。
自分でもわからないだろうし、他人には当然わからない。
あくまで、二人の関係性の問題だと思うのです。
この関係性に、「嫉妬」という感情が入るとややこしい。
よく、兄弟のどちらかが出来がよかったりすると、
注目されなかった方の兄弟は「嫉妬」を感じるし、
両親を「恨み」ます。そして、意外と傷が根深く、人格形成に影響します。
この場合、どこのチャクラが関係しているんでしょう?
自分の中でもまとまってないのですが、
からまった思考の紐を解いてくださらないかなぁ~っと甘えたことを思いつ
つ、投稿させて頂きました。
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マインドではわからないことを考えようとすると、思考の紐はからまります。
なぜならマインドでは解けないからです。
マインドとは別の次元に移行する必要があるんですね。
それがハートです。
「あるがままの男性の本音
「少しゆっくりさせてくれ・・・。」
あるがままの女性の本音
「むっつりした顔で人のつくった料理食べて、なにさ!話くらい聞いてよ」
でも、二人はお付き合いしているわけですから、
自分の希望をうまく伝え、おりあいをつけていかなくてはならないんですよ
ね?」
っていうのはその通りですね。
でもそこにお互いがあるがままを許すスペースがあって、愛があるなら、
あるがままの男性は
「あー、今日は疲れた、しばらくゆっくり休ませてクレー」
あるがままの女性は、ちょっと知恵があれば
「まぁ、それは大変だったでしょー。そこに横になって。腰でももんで上げま
しょうか。」
なんていいながら、少しくつろがせながら、それで「きゅうりが安くてねぇー」
とか「もう聞いてよ、うちの馬鹿店長がさぁーー」っと言われても、男性の方
はあるがままでいなながら、結構気持ちよく聞いているモンじゃないでしょう
かね?
そうするとお互いあるまがままでいながらめでたしめでたし・・・
「お互いに過ごしやすくするために、関係性を二人で作りあげていかなくち
ゃいけない。この時、どちらかが、それを拒否したり、築き上げる熱意が
まったく違ったら、これはもう上手くいかないわけです。
愛だけでは、どうしようもないような気がしています。」
「愛だけでは、どうしようもない 」っていうか、それだとそこには愛がない感
じがしますが・・・
別に愛といっても、それがいつも無条件の愛である必要はないんですね。
だって、それは現状では不可能です。
だれだって、エゴがある限り、その愛だって条件付きなんです。
エゴがなくなって始めて無条件でいられるわけですから。
でも今ある愛からしか始められません。
それが自分にとってのリアリティなのですから。
「今ある愛を大切にすることから始めてください」ってワドゥダも言っていま
した。
無条件の愛ということに関しては、これはなんとも、いわく言いがたしですね。
ちょっと説明できないです。
無条件の愛だからこうしなきゃならないとかアアしなきゃならないとかではな
いんですね。
その人が自分に対して何もしていなくても、ただその人からは無条件の愛を感
じる、というような場合もあるんですね。
でもその人は痛烈にある人のことを叱るというか、そういう場合もあるのです
が、その叱るということも無条件の愛からのことである、ということもあるん
ですね。
そしてそれは家族であろうと他人であろうと関係ないようなんですね。
ただそれはその人が持つ質のようなものです。
愛は無条件の愛でなければならない、って思わないでくださいね。
今ある愛が大切なんです。
どんな小さな愛でも、それがハートからのものであれば、そういうひとときを
持てたことが幸せなんです。
私たちが感じている愛は永遠に続くものでもありません。
愛はその瞬間瞬間の贈り物です。
ハートで感じること。
ハートには時間はありません。
今ここにいることが出来るだけ。
過去もなく、未来もなく。
ただその瞬間に通じる愛があれば、それで満足なんです。
次の瞬間には怒りがあるかも知れないし、嫉妬があるかも知れない。
でも、ハートを感じれば、ハートに戻れば、やはりそこには愛があるんです。
それはただそこにあることを忘れているだけ。
そこにあることを思い出すだけでいいんです。
尚.記
もう少しオーラソーマについて知りたい方は、
次にお進みください。