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パビットラさんの「フラワーエッセンス」


SB篇第83回:第7身体 その15

【日常とセッションに役立つチャクラ・サトルボディ・エネルギー解剖学】

長めのお休みを頂いておりましたが、今回も、マウントフジフラワーエッセン
スからみたサトルボディ、エネルギーワークをテーマに、第7身体についての
お話を続けていきます。
前回に引き続き、東洋と西洋のスピリチュアルなプロセスを切り口に、上位と
下位のサトルボディの機能とその関わりについて、探求していきましょう。

前回は、第3身体の次元の両極、光と闇のイメージの葛藤から自由になるに
は、第3の次元の高位である第6の次元(これは私の体験を通した体系化では
ありますが)と関係する「第3の眼」の本来の機能、「観照」の質を開く事だ
と書きました。

西洋では、第3身体の “強さ”や“正しさ”の質、つまり光の極を、スピリ
チュアルな探求の道においても大切な要素として扱います。堅固な自我と、堅
固な自我がイメージしている正しさを核として、進んでいくのですね。(前へ
と進み続ける“行動”の質も、第3身体の光の極に属しています。)
だから、様々な迷いや困難を突き進んでいく過程において、強さや正義を担う
という自己イメージは頼もしい拠り処となってくれますし、その部分がしっか
りとしていなければ、“弱さ”や“不正”の闇の極に振られてしまうわけで
す。

反対の極に陥って正しい道(という自己のイメージ)から逸れてしまうという
怖れもまた、自らの強さで自らの弱さを律し、進み続ける動機付けとなってく
れます。
“何かが間違っている”という感覚は、行為へのきっかけともなるのです。

マウントフジフラワーエッセンスのセッション、また、弊社で行っているバッ
チフラワーのセッションでの在り方と、西洋的なそれらとの違いのひとつは、
拠り処や動機付けのなさにくつろぐ、という事かもしれません。それは、“す
る事” の努力や戦いを通しての達成とは異なるものです。
この「何もしない事」を第3身体の次元で理解し、当てはめようとするなら、
“弱さ”や“負け”の闇の極であるかのように感じるかもしれませんね。

第3の眼から、光と闇、正と不正といった揺れをそのままに見渡したなら、
“する事”を通しては起こらない「観る事」から第3の次元の豊かな色の世界
を眺めたなら、そこから起こる行為とは、どのようになるのでしょうか。

とは言え、第3身体次元の光の極の“強さ”や“正しさ”は、セッションでの
実際的な場面で役立つものでもあります。
例えば、緊急性がある等、現実的で積極的な介入、常識と客観性がセラピスト
に必要とされる時。
どのような質のワークであったとしても、セッションの提供者としての責任に
おいて、この部分を鍛えておく事は不可欠です。

自我が発達した西洋で貧困層のクライエントと関わっているセラピストである
なら、この部分はより重要視されるでしょう。
例えば、回数限定の無料セッションに来るクライエントは、大抵の場合、複合
的な問題を抱えており、荒れた環境にいます。そんなクライエントが最優先で
求めるのは、ゆったりとした傾聴ではなく、現実的に機能する素早い積極的介
入です。セラピーを学ぶ多くの人がやりたがるような、あるいは、東洋思想に
興味を持つ知的階級のクライエントが求めるような、深い洞察を探る、自己成
長する、といったニーズではないのですね。

その反面、上位身体の次元から見るなら、“常識的で客観的で正しくある”事
は、時代や環境や立場によって変化していく表層の要素ともなります。
ですが、その時点における “正しさ”が明らかに見てとれる場合、自分自身
の第3身体に起こる反応に対して、私達は、より無意識的になれるものです。
何故なら、明らかな正誤の後ろ盾から、“安心して”反応出来るのですから。

例えば、その時の“正しさ”からみて明らかに過ちを犯した誰かに対して、正
しい自分という自己イメージが大きく動き、それを証明しようと、過度な批判
という反応がやって来たりするものです。光の極との同化が大きければ大きい
程、感情もそれを起点に大きく反応し、“正しい自分”をことさら証明しよう
として、過剰に頑張ってしまうのですね。
外側を批判する事は、もっと優れた自分、偉くなった自分になったかのように
感じられ、光の自己をアピールする事にもなるものですが、それは、第3身体
の光の極に引っかかっている、「第3の眼」が閉じているというサインです。
とりわけ、正誤の後ろ盾で自己イメージが動く時程、下位身体の反応に巻き込
まれてしまい、「第3の眼」が機能していない事に、自分も周囲も気づかない
ものです。

でも、自分が行う現実対応と他者への批判という反応とは、関係のないもので
す。第3の眼の「観照」の次元に在るなら、現実的に出来る対応を行いながら
も、自分の反応に気づいてもいられるでしょう。

「観照」は、正しさの力で無理に律したりコントロールする事ではなく、くつ
ろいでいる時に機能します。西洋の道では、ここで、高位次元への上昇への頭
を打たれる事が多いように思えます。

私達の人生では、その道筋や出会いの中で、善と悪、光と闇は、ちょっとした
事で変動します。
何かの縁によって優れた人になったり、その逆になったりもします。ほんの少
しのところで死を選ぶ事もあれば、生へと引き返す事もあります。多次元的な
サポートが響く事もあれば、響かない事もあります。
この世界で自分が体験し、外側に見える誰かが体験するどのような善と悪、光
と闇の要素も、全ての人々にあるものです。そして、それイコールその人自身
ではありません。
あなたは、善くもなく、悪くもありません。誰も、善くも悪くも、特別な人は
いません。
少なくともハートの次元の体験に入れば、それが体感としてやって来るでしょ
う。

そして、ただ、あなたが世界で、あなたが宇宙です。
トータルに生きる事にチューニングを合わせると、よりそれを感じ、今を生き
る大切さや愛おしさにつながれるというのは、興味深い事です。

痛みの人生を繰り返すループから離れ、生き生きと自分らしく生きる決断をす
るなら、意識してもいなくても、ただシンプルに、正誤を超えた高位身体の次
元へと開かれていきます。そして、その決断がなかったとしても、いつか誰も
が、自然にそうなっていくものだと感じています。

ところで、これは私の個人的な感覚なのですが(すみません、ご自身の体験に
そぐわなければさらりと読み流して下さい)、西洋のスピリチュアルなものの
中には、光の存在だとしていても、同時にそこに闇が潜んでいるのを感じ取る
事があります。それは、「本当はブラックマジックだ」といった意味合いでは
なく、光が届かず見えない奥底に、無きもの、触れてはいけないものとしての
闇が動かぬよう繋がれている長さの感覚、とでも言っていいのでしょうか。

また、余談ですが、西洋には、虹色に輝くものの中にも、闇のエネルギーに属
するものもあるとも言われています。善きものだと思っていたら違っていた
等、東洋でも類似した内容を耳にする事がありますよね。
こういったものへの同化や怖れの反応は、私達の第3身体(やその他の下位身
体)の深い層に属している、集合的なものなのかもしれません。
これらに盲目的になるのではなく、怖れに凍りつくのでもなく、動かされぬと
ころから見守る質もまた、「第3の眼」にはあります。

念の為に、勿論、上記の事はオーラソーマを指してはいません。
でも、オーラソーマに「ブラック」がないというのは、とても興味深い事だと
思っています。
様々な色や光が「存在する」のに対して、「ブラック」という実体は本当は
「存在しない」ものであり、それは単に「光の不在」である状態、と理解して
いいのでしょうか。

「ブラック」については、過去の連載で執筆しています。下記からご覧頂けま
す。
http://www.aura-soma.co.jp/newsletter/backnumber/dtl_510.html

ここでは、「ブラック」に関して、
「ブラックと聞いただけで、居心地が悪い感じ、怖い感じ、不吉な感じ、異質
な感じ、触れてはいけない感じ、一歩引きたい感じ、避けたい感じ、浸食され
た感じ、抵抗したい感じを、受けた人も多いかもしれません。それらの瞬時に
起こった変化と反応は、まさに、ブラックがもたらすエネルギーでもあるので
す。」
と、書いていましたね。

「光の不在」としての「ブラック」。

「不在」。
この単語にも、何だか得体のしれない、未知なる領域のような、安心出来ない
響きがありませんか?死を連想する人もいるかもしれません。
こういった感覚もまた、古今東西、誰もが共通して持っているものだと思いま
す。

「不在」。
何の対象もない事って、何かの対象が在る事に比べると、イメージが難しいの
ではないでしょうか。だって、フォーカスするものがないのですから。
もしかしたら、ブラックや闇を「不在」と見立てればイメージ出来るかもしれ
ませんが、そうすると、それらは対象となってしまいます。イメージとしての
ブラックや闇が「在る」のですから。
「不在」とは、このようなマインドの活動やイメージを超えたものなのでしょ
う。

実は、この「不在」というのは、第7身体を表現する単語でもあるのですね。
東洋では、表現出来ない第7の次元を、こういった否定形の言い回しを重ねる
事で表現しようと試みていたりします。
この「不在」とは、在ると無し、実在と不在の対比の次元のそれではありませ
ん。そして、光がないとか、闇があるとか、光が滅するとか、光が去るとか、
光を失うとかいった動きでもないものです。
全き死の後(という言い方も違うかも)には、何もありません。光であれ闇で
あれ、何もない事であれ、あるとかないとか言う次元ではないのですね。

このあたりの切り口から、光のツールとしてのオーラソーマを眺めてみるのも
面白いかもしれません。とりわけ、瞑想性の土壌がある日本は、更なる深みの
探求に適しているのではないかと感じています。尚さん、Pariさんあたりがい
つか紐解いてくれないかと、勝手に期待しています。

それは、形態と共に、あるいは、形態の背後にあるものなのかもしれません。
また、神秘的で多次元的なエネルギー作業から生じた、美しく豊かな多様性の
内奥にある普遍性を紐解いていったなら、あたり前のシンプルも、同時にそこ
にあるような気もしています。
(つづく)

        …………○…………○…………○…………

またまたスケジュールの都合で、すみませんが、次回は11月17日になりま
す。11月に、またお会いしましょう。

【大切なお知らせ】
メルマガの読者様で、ハートサポートシステム(有)主催の各種「フラワー
エッセンス基礎講座」、「フラワーエッセンスプロ養成講座」について、名
称、プログラム内容、システム、文章表現等が類似したものと間違われたり、
編入出来ると誤認されるケースが起こっているようです。
ハートサポートシステム(有)の修了証は、主催のオリジナル講座でのみ発行
され、全「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワー
エッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
それ以外のところで、修了証、認定証を発行している事実はございませんの
で、混同されぬようお願い申し上げます。
もし、これらの件に関してお困りの事、分からない事がございましたら、ご遠
慮なく弊社にご相談下さい。

この連載に関連した内容を、「リヴィングエナジー」最新号にも執筆していま
すので、よろしければ、そちらも併せてお読み下さい。

「サトルボディ」については、「サトルボディヒーリング」をご参照くださ
い。
http://oshoartunity.com/mail/orderform.cgi

また、「マウントフジフラワーエッセンス」については、「マウントフジフラ
ワーエッセンスとエネルギーの世界—花の“Being”—」をご参照下さい。
http://www.floweressence.co.jp/Essence/MFbook.html

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*最新ワーク情報・個人セッション・無料小冊子のご請求*
「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」は、2011年2月3日から。
「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」は10月19日から。「レイ
キ」Ⅰ&Ⅱは「レイキ」Ⅰ&Ⅱは12月18日&12月19日に開催。
これらの最新ワーク情報と各種個人セッション、無料小冊子のご請求は下記よ
り。
http://www.floweressence.co.jp/

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*筆者パビットラのプロフィール*
フラワーエッセンス(以下FE)開発者、指導家。富士山周辺に咲く花から日
本で最初にマウントフジFEを開発。日本で初めてFEをワークに導入し、日
本人初の関連書籍「バッチ博士のフラワーエッセンスガイドブック」を執筆
し、その後、「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界—花
の“Being”—」を執筆。日本におけるFEの先駆的役割を果たし、ハートサ
ポートシステム(有)、日本フラワーエッセンス協会にて、フラワーエッセンス
を用いた各種セラピー、セラピストの育成、執筆、開発等に努める。心理療法
家、カウンセラー、エネルギーワーカー、ボディワーカーでもある。「セラ
ピー現場ですぐ機能する」をモットーにした講座の参加者は、セッションが
きっかけとなった方から、セラピストや医療関係者迄幅広い。卒業生はプロと
して活躍中。

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