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[ご質問]
マインドとの非同一化・・・この重要性は、それこそ、頭ではわかるです
(^^;
でも、実際、自分の思考が頭から来ているのか、心から来ているのかさえ、
わからなくなることが多いのですが、どんな違いがあるのでしょう?
え、メルマガを読んだら、わかるだろうって?
ごめんなさい。
まだまだ良くわからなくて・・・m(_ _)m
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[回答]
「自分の思考が頭から来ているのか、心から来ているのかさえ、わからなくな
ることが多いのですが、どんな違いがあるのでしょう?」
いえ、メルマガを読んでもわかりません。
なぜなら、これは頭ではわからないことだからです。
もともと「思考」は頭から来ていて、ハートからは来ないんです。
思考がないとき、ハートにいるのです。
あるいはハートのスペースで頭(マインド)に気づいているということはある
でしょう。
頭からハートへというのは、頭とは別の次元に気づくということでもあります。
「マインドとの非同一化・・・この重要性は、それこそ、頭ではわかるです」
このことが大切なんです。重要さがわかるということが。
頭でわかるのはそこまでなんです。
でも、その頭で重要さがわかるということで、非同一化の可能性も生まれてき
ます。
禅の公案で、グーズ イズ アウト というのがあります。
ガチョウは瓶から出ている。
どういう話しかというと、あるガチョウの鄙を瓶の中に入れて飼っていたら、
そのガチョウが大きくなって瓶の口から出なくなってしまった。
瓶を割らずにそのガチョウを瓶から出して見よ!
っていう公案です。
これは頭の中にいる限りは解けないんですね。
禅の公案というのは、頭で考えている限りは絶対に解けないんです。
頭から出るために公案があるんです。
でもあるきっかけがあって、ふとした瞬間にそれが解けるんですね。
それはあなたが頭(マインド)から出た瞬間なんです。
だから禅師リンザイは弟子を棒で打ったりしていたんですね。そのリンザイの
一撃で悟りを得た、というような話しがあります。
キョウザンという人は庭を掃除していて、小石が箒の竹にあたったときの音を
聴いたときに悟った、というような話しがあるんです。
ガチョウとはあなたなんです。
あなたは瓶のなか、すなわちマインドの中にいるんです。
そのマインドのなかにいるあなたをどうすれば出すことができるのか?
というのがこの公案の問いかけです。
そのことに気づいたときに、あなたは瓶から出ているのです。
なぜなら、あなたは思考ではないからです。
あなたが自分だと思っているあなたは、あなたではないんです。
つまり、瓶の中のあなた、頭(マインド)で自分だとおもっているあなたは、
あなたではないんです。
そのことに気づいたときに、あなたは瓶から出ています。
でもこれは頭で考えているかぎりではわからないんです。
頭から出る必要があるんですね。
それが頭からハートへ、ということです。
それはあるコツのようなもので、体験の中でわかってくるだけです。
そういう機会を提供するのがワドゥダとかワドゥドの「ライフトランスフォー
メーション」でのワークショップなんですね。
メルマガで伝えることができるのは、ごくごく限られたことでしかないのです
ね。
もしそういうことをもっと深めたいときには、ワドゥダが書いていたように、
自分の興味に従って、さまざまなことを体験し、試してみることです。
そうすることのなかからコツがわかってくるでしょう。
頭で考えている限りはわかりません。
ネスカフェの違いがわかるためには、飲んでみないとわからないように、頭な
のかハートなのかは体験のなかでコツをつかんでみるしかないんですね。
確かに頭(マインド)は狡猾なんです。
私はハートの中にいるんだって、マインドで思っているってこともよくあるん
ですね。
私は気づいているんだって、実は別のマインドの中で気づいているって思って
いるだけこともあるわけです。つまり別のマインドで別のマインドを観てる。
でもそれは同じマインドの中、ってこともよくあるわけです。
混乱しますよね。
でも混乱しているとき、あなたはマインドの中にいるんです。
同じマインドの中にいるかぎり、あなたはマインドの問題を解決は出来ないん
です。
あなたは瓶から出る必要があります。
マインドの中から出る必要があるんですね。
それが瞑想です。
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