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[質問]
「知識」を学んでいる間は、人間はとても楽しくなります。
全てではありませんが、大人になればなるほど「勉強が楽しい」という人を
よく見かけます。この「楽しさ」はエゴの満足、イエローの満足になるので
しょうか?
「勉強の楽しさ」って一体なんなのでしょう?
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[回答]
このように自分で考えられているというのはすばらしいですね。
それぞれの人がこのように自分で考えられるきっかけになったり、
こういうふうに自分で考えられていることを書いていただけるのは
メルマガ発行人としてはとても嬉しいことです。
「楽しさ」はエゴの満足、イエローの満足、っていうのは面白いですね。
普通、満足っていうとオレンジの言葉として考えられていますね。
感情的に満ち足りるというような意味で、腹で感じる満足のようなものとして。
至福とか法悦と繋がる言葉として。
愛にもマゼンタの愛、レッドの愛、コーラルの愛があるように、
満足にもエゴの満足やイエローの満足があってもいいなって思いました。
エゴが満足すると、楽しい。知的楽しみ。
感情が満足すると、嬉しい。感情が喜ぶって感じですね。
感情は女性のものだから、女編に喜ぶで嬉しい。
なんてね。
勉強の楽しさっていうと、知的楽しみのような自己満足って感じがありますね。
まず自己満足するっていうのが大切ですよね。
なんか自己満足とかエゴが満足っていうと、なんか利己的であまりいいことの
ように思われない傾向があるようですけど、それは違いますよね。
自己満足できなければ、人が満足したってしかたないですもんね。
自己愛がなければ、利他愛なんてできませんしね。
自分にないものを人にはあげれない。
でもそれで新しいことを知ったり、数学で新しい問題が解けたりってことにな
ると、嬉しさがありますね。感情的にも満足するんでしょうね。
だからそれはそれぞれのニュアンスの違いなんじゃないでしょうか?