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[ご質問]
先日注文していた104本のボトルとボトルケースを四苦八苦しながら香港
まで持って帰りました。
私の不注意もあったかと思うのですが、途中、ボトルが1本だけ壊れてしま
いました。
91番のフェミニンリーダーシップ(女性の自立)のボトルです。
ボトルが割れてしまったショックよりも“なぜこのボトルが壊れたんだろう?”
という疑問のほうが強く、、。
自立は私のテーマでもあるんですが、これはどう受け止めればいいのでしょ
うか?
水晶が割れると、その人の代わりに悪いところをすいとって壊れてくれた、
なんてよく聞きますが。
私に自立は無理、あるいは時期尚早ということでしょうか?
それとも私の代わりに壊れてくれたのでしょうか?
104本のなかで一本だけ欠けているのですが、なんとなくしばらくはこの
ままでおいておこうかと思っています。
ボトルが割れてしまったことをどのように受け止めればいいのかアドバイス
お願いします。
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[回答]
そういうのって気になりますよね。
自分の大切なものが突然壊れてしまったり、なくしてしまったり。
ペンダントやブレスレットなどを身につけていたら、それをなくしちゃったと
か、壊れちゃったとか。
セットで置いていたら、あるボトルが突然割れてしまったとか、グループの時
に、あるボトルが突然割れてしまったとか。
通常まず物理的な原因を考えますよね。ボトルにひびが入っていたからだとか、
温度差の変化で、とか考えます。
ボトルのキャップがきつく閉まりすぎていて、部屋が暖かくなったりすると、
膨張して割れるというようなことも考えられますし。
しかしそういう理由では考えられないケースもあるんですね。
自分がオーガナイズしていたグループでも、突然81番のボトルが割れて、次
に取り替えたボトルも同じように割れてしまったというようなこともありまし
た。
確かにボトルをちゃんと確認して置いているので、ひび割れとか、膨張とかの
ケースでは考えられず、どうして割れたんだろって、みんなで考えたりもしま
した。
通常、オーラ・ソーマではそういう場合、その場、ないしそのグループ、ない
しその人に必要なエネルギーをもたらすために割れたっていうふうに考える場
合が多いようです。
ですから、その91番のボトルはあなたが自立していくのをサポートしたくっ
て割れたのかもしれないですね。
そういうエネルギーをあなたは緊急に必要としていたのかもしれませんね。
そして、何かそういうことが起こったときの一般的なものの考え方も大切です
ね。
人生とか日常生活も、その時のものの考え方、受け取り方でずいぶん変わった
ものになってしまいます。
自分が考えたようにものごとが生じてしまうことも往々にしてありますからね。
だから自分がどういうふうに物事を考えているのかっていうことに意識的にな
ることも大切です。
とりわけ子どもの頃に聞かせれた迷信とか、子どもの頃に両親や教師にいわれ
たこととか、未だにそのことが気になったりしますよね。
例えば黒猫が目を横切ると不吉だとか、今はそういう機会はないでしょうが、
ゲタの鼻緒が切れると不吉だとか・・・
猫というのは、どういうわけか車の前を横切る習性があるのではないかと思わ
れるのですが、それがたまたま黒猫だったりすると・・・
そういうときは、それはいいことの前兆なんだって、思うようにしてます。実
際そういうふうに言うところもあるようなので。
それが例えば、子どもの頃両親に言われたことだともっと深刻で、あなたはバ
カな子ね、とか、字が下手だね、とか、弱い子だとか言われていると、それが
無意識になってしまって、それが催眠にかかったように、実際はそうではない
のに、そういうふうに自分で思いこんでしまったりするんですね。
できた両親だったりすると、ことあるごとに子どものころから、おまえは天才
だって親に言われ続けて育っていたりすると、自分でもそのように思いこんで、
それが支えになって、困難にめげずに大きな業績をあげた、ということもあり
ますね。
財布を落としたり、お金をなくしたときも悔しい思いをしますよね。
でもそういうときは、お金は天下の回りものなんだし、そのお金はそれを必要
とする人のところに行ったんだって、思えばいいわけですし・・・
自分が日常、どういう考え方をしているのかに気づいてみるといいですね。
そうすることで、操り人形ではなく、操り人形師としての人生を送っていくこ
とができるでしょう。