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『通信』ヴィッキーさん物語

001_序章
002_愛しのお父さん1
003_愛しのお父さん2
004_愛しのお父さん3



愛しのお父さん 1






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■ 2.ヴィッキーさん物語――その2
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前回のクイズの正解は、ヴィッキーさんは「7番目の子供」ってことでしたね。
より正確には、彼女のお父さんも7番目の子供だったので、7番目の子供の
7番目の子供。

7番目の子供には特別な能力が備わっているという言い伝えがあるようなんで
すが、なんと、モーツアルトも7番目の子供だったんですね。
彼があのすばらしい曲の数々を作曲する時は、頭の中にただメロディーが浮か
んで、それをただ書き写すだけでよかったようですね。

ヴィッキーさんがオーラソーマのボトルの啓示を受けたのも、そのような感じ
だったのでしょう。

今回はヴィッキーさんの辛い思い出です。

これを読むと、ヴィッキーさんだけがかわいそうにも思いますけど、
ヴィッキーさんの継母の人もある意味でかわいそうですよね。
彼女は自分の子供に恵まれず、自分の子供だと思ってかわいがっていた
ヴィッキーに、裏切られた感じだったのでしょう。

愛と憎しみが裏表だってことがよくわかりますね。
彼女がヴィッキーを愛していればいるほど、その憎悪も
人一倍大きかったのでしょう。

レッドの愛、情熱的愛は、ネガティブになれば、憎しみのレッドに変わるので
すね。
同じレッドのエネルギーでも、このように変わりうるということです。
愛憎はコインの裏表だとはよくいったものですね。

ヴィッキーさんの発したこの言葉が不幸の始まりになりました。
それからの彼女の人生は、
「涙が、私の人生の彩りをすべて洗い流してしまった」でした。
これはクリヤー/クリヤーの54番のボトルの一つの側面の体験を表していま
すね。

幾多の彼女の苦難の人生のなかで、このできごとは試練の始まりでもあり、
彼女にとって最も大きな試練の一つだったのでしょう。

「ヴィッキーさん物語」の2回目です。

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1 愛しのお父さん

1918年、母がスペイン風邪に倒れたとき、父は母を救おうと、死に物狂い
の努力をしました。高熱を下げるため、濡れた毛布で母をくるむ水療法を試み、
その横で添い寝をしましたが、効果はむなしく、結局、戦争と子供をたくさん
生んだことが災いし亡くなりました。母が死んだとき、父のハートも母ととも
に埋葬されましたが、ありがたいことに、同じ病に倒れた一番上の姉は、一命
をとりとめました。

そして父の元には、ほとんど新生児同然の私と、二、三歳の間隔をおいてずら
っと並ぶ六人の子供が残されました。そんな父に与えられた選択肢は、二つだ
けでした。家政婦を雇うか、それとも再婚するか。そして父は、後者を選んだ
のです。

ポーランド人の血を引き、小柄でがっしりした体格の継母は、ブルーグレーの
とても表現力豊かな瞳を持ち、優しい表情は一瞬のうちに、獲物を狙う猫の執
拗な残虐さへと変わりました。そのまなざしは、私の胸に焼きつき、その後何
年も夢に現れ、私を苦しめたものです。彼女は父を愛し、子供を欲しがったの
ですが、ついに一度も恵まれませんでした。

まだ生後数か月しかたたず、まったくよるすべのない私を、彼女はどうやら、
欲しくてたまらない自分の子と思い込むようになっていったようです。まだほ
んの赤ん坊でありながら、私が母のではなく、父の面影を漂わせていたことも、
彼女が幻想にひたる助けになったのでしょう。今こうして生後間もないころ、
あるいは、子宮にいた頃を思い出してみても(それは、私の持って生まれた
並々ならぬ能力の一つなのですが)そうやって思い出してみても、最初の二、
三年間は、どんな不調和もトラウマ(精神的な傷)の形跡もないのです。その
間、私は彼女の子供として、自然に育てられたのでしょう。七人の兄弟のうち、
私だけが彼女を「ママ」と呼び、兄や姉は「おばさん」と呼んでいました。彼
らは、最愛の母が亡くなって何か月もたたないうちに、その後釜に居座わった
彼女を、よくは思っていなかったのです。そして、継母と兄や姉との関係は、
次第に緊張を増していきました。

父は、そうした状況をまったく気にとめていませんでした。子供たちの愛情を
信じていましたし、生活を混乱に陥れたくはなかったからです。継母は、すば
らしく料理がうまく、家政婦としては申し分のない人で、夫の必要とすること
に絶対の価値を置き、鋼鉄のルールのもと、家の中は、すべてが規則正しく管
理されていました。けれどもそれは、子供のための場所ではなく、本やおもち
ゃや遊び友達は、ちり一つ落ちていない家にとって招かれざる客でした。彼女
はその点においては、ほとんど病的で、兄や姉や私が、彼女としっくりいかな
かったのも当然といえば当然、彼らはまもなく、私をその冷たい氷の城に置き
去りにし、一人、また一人と、自分の道を見つけて家を出ていきました。

それでも兄や姉は、定期的に父に会いに、家に戻ってきていました。私の子供
時代に暗い影を落とすことになった事件が起こったのは、そんな日々のことだ
ったのですが、なんと悲しく皮肉なことでしょう、そうした不幸の引き金を引
いたのは他でもない、私をもっとも愛してくれていた姉だったのです。

ある日のこと、彼女といるとき、私は「ママがね、こう言ってね」とか「ママ
がね、こうしたの」とか、くったくのないおしゃべりにうつつを抜かしていた
のです。というのも、その当時、私はまだ彼女を母親だとばかり思っていまし
たから。
そんな私が突然、姉にこう言われたとき、どんなに興味をそそられたか想像し
てください。
「あの人はね、お母さんじゃないのよ。言われたとおりにしなくたって、いい
んだから」

その時はそれで終わりましたが、その言葉は、私の頭にしみ込みました。それ
からしばらくたったある日、ささいなことで、継母との間に衝突が起こったの
です。何についてのことだったのかも、もう思い出せないほどささいなこと、
何か私に手伝ってほしいとか、そんなようなことだったのですが、私たちは、
もう後戻りできないところにまで来ていました。隅に追い詰められた私に、数
日前の記憶がよみがえり、私は挑むように彼女を見据え、こう言い放ったので
す。
「あんたは、お母さんじゃないもん。言われたとおりにしなくたって、いいん
だから」

長い沈黙がありました。ブルーグレーの瞳が鋼鉄に変わり、その瞬間、私の後
ろで、地獄の門ががしゃんと音を立て、その時から、すべてが変わりました。
幻想はこっぱみじんになり、私は彼女のあらゆる欲求不満と憎悪のはけ口とな
ったのです。それからの私の生活はまさしく、エリザベス・バレット・ブラウ
ニング(イギリスの女流詩人1806-61)の言うところの、「涙が、私の人生の彩
りをすべて洗い流してしまった」でした。

   ヴィッキー・ウォール著『オーラソーマ』「1 愛しのお父さん」より
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尚、このコーナーのコンテンツは、出版社、翻訳者のご了解を得て
『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(伊藤アジータ訳、OEJ刊)より
掲載させていただいています。

和尚エンタープライズジャパンのHP:
http://www.kt.rim.or.jp/~oshobook/

伊藤アジータさんのHP:
http://www5e.biglobe.ne.jp/~dhyan2/index2.htm