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巻頭エッセイ


第814号 【パリさん】:何が気づいているのか?

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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:何が気づいているのか? (2018,1/24)
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今回のパリさんのお話をマインドで理解しようとすると理解するこ
とはできません。

なぜなら、気づきはマインドを超えた次元だからです。

瞑想の体験がある人にとっては、ああ、そのことね、ってすぐにわ
かるでしょう。

それは、例えば、目は直接自分の目を見ることができないのと同じ
です。

鏡に映したり、他の人の目なら見ることができますが、自分の目を
直接見ることができないのです。

それと同じで、マインドはマインドに直接気づくことができないの
です。


アルバートアインシュタインに次のような言葉があります。

The problems that exist in the world today cannot be solved
by the level of thinking that created them.

こんにち世界に存在している問題は、それを作りだしたのと同じ
思考のレベルでは解決することはできない。

では、どうすれば解決できるというのでしょうか?

それは思考のレベルを上げることによってです。

ユニティインスティチュートでは「意識の多重構造マップ」でその
ことを説明しています。
http://unityinstitute.jp/ishiki_map.html

肉体や思考感情の層(次元)よりもさらに内側の層(高次の次元)
に本質や中心の層(次元)があります。

より抽象度を上げる(高い次元)ことができれば、低い次元のこと
に気づき、観ることができるようになります。

それを可能にするのが瞑想であり、ハート瞑想でもあるのです。

瞑想によって、より内面の世界である、本質、中心に気づいて行く
ことができるのです。

マインドの層(次元)にいることによっては、本質や中心の層
(高い次元)に気づくことはできません。

マインドはマインドの一部を分析的に気づくことはできますが、

マインドそのものに気づくことができません。

マインドという同じ平面にいる限り、そのマインドそのものに気づ
くことができないのです。

マインドに気づくためには、マインドを超えた次元に行く必要があ
ります。


数学や宇宙論にはいくつもの次元があります。

次元を上げることによって、これまで解決が不可能な問題を解くこ
とができたりします。

二次元の平面の世界では解決不可能なことでも、三次元の世界では
二次元の世界を俯瞰し、新たな解決策が可能です。

例えば、地面を這っている蟻は二次元の世界に住んでいると仮定し
ましょう。

そして、人間の住んでいる世界が三次元だと仮定します。

その蟻がどこにも出口のない迷路に迷い込んだとします。

その蟻が住んでいる平面の2次元の世界では、どこにも出口がない
ので、蟻はその迷路から出ることができません。

しかし、3次元に住む人間の目から見れば、平面では出口がなくて
も、蟻をひょいとつまんでその迷路から出して上げることができま
す。

2次元では解決不可能なことでも、3次元では簡単に解決できてし
まいます。

この世には、次元を上げて観ることで、簡単に物事が解決すること
があります。

例えば、どんなに考えても解決できなかったことが、ふとしたこと
でアイデアが浮かんだり、解決策が浮かんだりするのは、その時そ
のマインドの次元とは別の次元からの閃きがあったからです。


オーラソーマでは、最近 Beyond Colour (色を超える)というコン
セプトを打ち出しています。

それはどういうことなのでしょうか?

「イクイリブリアムは意識の鍵です」という言葉が以前のオーラソ
ーマボトルには記載されていました。

オーラソーマは色を通して、意識に気づく、魂に気づくためのシス
テムです。

色に気づくのは、魂の次元であり、意識の次元です。

人間の心理を映しだす次元でのカラーローズは欲望の世界であり、
二元性の世界です。

同じ色の世界でも、肉体の次元、感情の次元、心理の次元、精神の
次元、霊的次元(魂の次元)などがあります。

そのカラーローズの世界に気づいている意識の世界は、色を超えた
世界、Beyond Colour の世界だと言えるのかもしれません。


それでは、【ぱりさんのオーラソーマ】:何が気づいているのか?
を、どうぞお読みください。

今日もすてきな一日を!

                           尚 記

       ………○…………○…………○………


ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでおつきあいいただければ、
案外、おもしろがっていただけるかもしれません。

「カラーローズ」は人間心理のパノラマです。
http://www.aura-soma.co.jp/intro/color_language/

ただ、ここでいう人間心理とは、具体的な喜怒哀楽のことではあり
ません。

「カラーローズ」でいう人間心理とは、そのような人間感情を味わ
うための“体験世界を願ったその思い”の元型のことです。

言いかえると、「カラーローズ」は“現象世界”を生み出した意図
のパノラマ、言わば“原因の世界”の元型とも言えるものでした。

ところで、バカバカしいほど当たり前のことですが、現象世界とは
認識されなくては存在しない世界ですよね。(*^_^*)

つまり、現象世界は知覚される必要があるのです。

何を当たり前のことを・・・と思われるかもしれませんが、意外と
これが、あとで響いてくるそれなりの拘束条件だったりします。

いいですか、“何か”を知覚するには、その“何か”と“それ以外
のもの”を識別する必要があることはわかりますね。

要するに、“何か”を認識することには、必然的に“何か以外”を
創造する過程が(暗黙のうちに)含まれていたわけです。

現象世界とは、こういう内部構造を持つ世界でした。

この現象世界の内部構造を規定する原理のことを(これまでも何度
も触れましたが)「二元性の原理」といいます。

「二元性の原理」とは創造活動の根源にある原理です。

私たちはより良い体験や、より良い世界を求めて、さまざまな創造
活動を展開します。

“何か”を求めて行うそのすべての判断や行動が、同時に不可避的
に、その“何か”以外を創造しているというのです。(@_@)

こんなこと、ふつう意識しませんよね。

意識していないのですが、事実、幸福になろうとする願望や努力
そのものが、現状が幸福でないという理解を創造してもいるのです。

現状が幸福でないという理解を創造せずに、幸福になろうと願う
ことはできないからです。

なのでこの「二元性の原理」の支配下にある現象世界では、どんな
ことを願っても、不可避的にその対極も創造してしまいます。

そして実は、そのことはこの現象世界を呼出した元型の意図その
ものにも該当してしまいます。

この現象世界を呼出した元型の意図自体も、不可避的にその対極の
意図を励起させてしまうのです。

どんな意図も、その意図を実現させるにはその対極の意図を必要と
してしまうからです。

それら現象世界を呼出したすべての意図が、厳密な位置関係とともに
配置されているのが我らが「カラーローズ」です。

「ブルー」「イエロー」「レッド」の三原色は、いわば現象世界を
呼びだした根源の願望とも言えるものです。

たとえるならば、「ブルー」は、独り在ること自体に安らいでいた、
いわば「在る」ことそのものの“平安”でしょうか。

そこから個別の体験を望んだ「イエロー」の願望が飛びだします。

「イエロー」とは現象世界への“憧れ”、“興味”とも言えます。

その「イエロー」の興味を実現したのが「レッド」の“意志”です。

ところが認識を要請する現象世界では、これら3種の願い(1次色)
は対極の願望(2次色)を励起せずにはいません。

かくて、1次色と2次色の6色の対極の意図に支えられた現象世界
が顕現するのです。

ここでは、それらの対極の願望を次のように定義してきました。

●「ブルー:オレンジ極」の両端の願い

「ブルー」 :独存し、安らぎたい
「オレンジ」:帰属し、奉仕したい

●「イエロー:ヴァイオレット極」の両端の願い

「イエロー」   :知りたい、体験したい
「ヴァイオレット」:脱出したい、超越したい

●「レッド:グリーン極」の両端の願い

「レッド」  :生きたい、貫徹したい
「グリーン」 :見晴したい、受け容れたい

これらの1次色と2次色の6色の対極では、その願いの相互排除性
は明白で、それらは同時には存在できない願望でした。

しかも、それぞれが対極の意図が存在しなければ、実現しようも
ない願望だったというわけです。

現象世界とは、もともとひとつのもののなかに識別を持ち込み、
ひとつを多数に分裂し、分岐することで顕現した幻想世界だったの
です。

「カラーローズ」のなかの残りの6色(3次色)は、現象世界の
存在を前提したうえで、既存の6色を補間する意図たちです。

ここでは、それら3次色の意図を次のように定義しました。

●「コーラル:ターコイズ極」の願い

「コーラル」  :育みたい、守りたい
「ターコイズ」 :全智・全能でありたい

●「ゴールド:ロイヤルブルー極」の願い

「ゴールド」   :豊かに、自立したい
「ロイヤルブルー」:真理・真実を知りたい

●「オリーブグリーン:マゼンタ極」の願い

「オリーブグリーン」:調和したい
「マゼンタ」    :無条件でありたい


      【カラーローズの欲望・願いの配置】
     (●=1次色 ◎=2次色 ○=3次色)

              ●←ブルー
            独存し、安らぎたい
ロイヤルブルー→○     ・     ○←ターコイズ
  真理・真実を知りたい        全智・全能でありたい
         ・     ・    ・
          ・    ・   ・
ヴァイオレット
   →◎      ・  ・  ・      ◎←グリーン
脱出したい、超越したい       見晴したい、受け容れたい
      ・       ・       ・
        ・   ・ ・ ・   ・
          ・        ・
マジェンタ       ・・・・・     オリーブグリーン
  →○ ・ ・ ・ ・ ・ + ・ ・ ・ ・ ・ ○←
無条件でありたい    ・・・・・      調和したい
          ・   ・   ・
        ・   ・ ・ ・   ・
      ・              ・
レッド→●      ・  ・  ・      ●←イエロー
生きたい、貫徹したい          知りたい、体験したい
          ・    ・    ・
         ・    ・     ・
   コーラル→○           ○←ゴールド
  育みたい、守りたい   ・    豊かで、自立したい
              ◎←オレンジ
            帰属し、奉仕したい


さて、ところでここには、ふだん私たちがまったく意識していない
ある秘密が隠されています。

それはあまりにも明らかであるために「オープン・シークレット」、
“公然の秘密”と呼ばれることもあります。

それは、上述したこれらの願望・意図だけで、現象世界が顕現できる
わけではない、ということです。(*^_^*)

今までさんざん、現象世界を呼びだした“原因の世界”の意図の
パノラマだとか言っておきながら、なんのこっちゃ! (\/U)

なんて怒らないでくださいね。^^;;

実はですね、どんな現象も、またそれを呼びだしたどんな願望も、
もしそれに気づいているものがいなかったら現象できないのです。

え、なんのこと? (?_?)

って、思いますか?

上で「イエロー」が体験を求めて「ブルー」から飛びだした、と
言いました。

そのとき、その「イエロー」の意図は、もちろん自前で存在して
いると思っています。

自分が体験したいのだから、体験したいというその思いが間違い
なく存在していると。

だいたい、いちいちそんなことも思いませんよね。(^_-)

ところがですねぇ、そういう思いそのものが自前で存在できるわけ
ではないのです。

以前、「ブルー」は「ブルー」を識別できない、という原理について
触れたことがあります。
http://www.aura-soma.co.jp/newsletter/backnumber/dtl_1712.html

つまり、体験したいというその思い自体は、体験したいというその
思いに気づくことができないということです。

え、じゃなんで、体験したいという思いに気づけるの? (?_?)

って思いますか?

たとえば、ある小学生が今度の運動会の徒競走で一等になりたい、
と思ったとしましょうか。

その“一等になりたい”という思いは、その思いに気づけるでしょう
か?

いいえ、“一等になりたい”という思いは、その思いに気づくこと
はできません。

“一等になりたい”という思いは、その思いを表現する媒体なので、
それに気づくことはできないからです。

では、身体がその思いに気づいているのでしょうか?

うーん、頭のあたりでそういう感じが起こっているかもしれません
が、身体が気づいているというのもなんだか変ですよねぇ。(^^;)

それで、普通私たちは、“自分”が気づいている、という言葉の
使い方をするのです。

でも、じゃあ、その“自分”って身体のこと?、と考えると、いや
それはちょっと違うな、って思ってしまう。

実は、“自分”なんてものはいなくても、ちゃんと何かがそれに
気づいているのです。

生まれたばかりの赤ん坊には、まだ“自分”なんて物語ははじまって
いません。

まだ“自分”なんていないんです。

でも、赤ん坊はちゃんと気づいている。

つまり、私たちが使う“自分”という言葉には、思いとその思いに
気づいているものが、ごっちゃになって含まれているのです。

この混乱と誤解のゆえに、人生というドラマが起こり、そこでの
喜びと苦しみがあるというわけです。

「カラーローズ」に展開されているさまざまな意図は、実はそれ
自体で自前で現象できるわけではありません。

それに気づいている何かが、それらの意図の存在を可能にしている
のです。

「ブルーはブルーを識別できない」という原理からして、その何か
はけっして何にもなることはできません。

それは、すべての現象の背景にあって、それらの現象に気づいて
いるだけです。

私たちというさまざまな欲望や意図の担い手は、すべてに気づいて
いるその背景の手の上で踊りを踊っているわけです。(*^_^*)

え、でも、気づいているのは私だよ。(?_?)

ええ、そうなんです。

私たちがその気づきです。

ただ、勘違いして“自分”は“自分”だと思っているのです。

勘違いが深まれば深まるほど、物語のなかで迷子になって途方に
暮れるんですよね。

その気づいている何かは「カラーローズ」のなかでは、どこにいる
のでしょうね?

おそらく、映画のスクリーンのように、「カラーローズ」の全面の
裏側にいるのかもしれませんね。

あるいは、映写機のなかの光源のように、「カラーローズ」の中心
の光の点として描かれているのかもしれません。

ほんとうに、この「カラーローズ」で展開される“人間心理”の
世界って、いったいどこに向かっているんでしょうね。

(*^_^*)

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこ
へ行くのか』( https://goo.gl/b7rViN )。(-_-)

次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。

いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定された
見解ではありません。

「オーラソーマ」が、ゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」
というすばらしいツールに触発された、まったく自由な立場からの
連想です。

おつきあいいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

                          pari 記


       ………○…………○…………○………

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