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巻頭エッセイ


第447号 【パリさん】:カラーローズ—誰が知るのか?

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■ 1.【ぱりさんのオーラソーマ】:誰が知るのか? (2012,1/23)
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今回のぱりさんのカラーローズは禅問答に近いです。

ぱりさんは丹波の山奥に住まう仙人のような方でもあるので、仙人
問答といえるかもしれませんが。

オーラソーマのカラーローズ、ぱりさんは「人間心理の曼荼羅」と
いうふうに言っていますが、オーラソーマでも使うタロットや生命
の木やチャクラなども、カラーローズと同様に人間の心理や意識を
反映している曼荼羅図ともいえそうですね。

人間の意識には、無意識、集合的無意識、超意識などいろいろな意
識の状態があることを以前にもお話ししましたが、瞑想的な意識の
状態をひとことで「気づき」と言うことができます。

今回、ぱりさんは「誰がカラーローズを見ているのか?」という問
いかけをしています。

そして、そのカラーローズを見ているのは「気づき」だ、と言って
いますが、そこでいう「気づき」というのが、この瞑想的な意識の
状態、光としての意識なのですね。

カラーローズのさまざまな色は光から生みだされますが、光には光
自身を見ることはできないので、カラーローズのようなさまざまな
色を通して自分を認識しているのかもしれません。

すべての色に気づいている光源が気づきの意識とも言えるかもしれ
ませんね。

「ブルーにはブルーが見えない」というのは面白いですよね。

ブルーの物体はブルー色だと思いますが、でも実はある物体がブル
ーとして見えているのは、その物体がブルーの色を「反射」してい
るからなのです。

すべての色を吸収すると黒、すべての色を反射すると白。

だから、すべての光を吸収する黒を身にまとうと熱くなり、すべて
の光を反射する白の方が涼しいのはそういう原理からです。

それはともかく、「ブルーにはブルーが見えない」という話に戻り
ますと、「日本にいては日本が見えない」というふうにもいえるか
と思います。

例えば、私が初めて行った国はインドだったのですが、インドに行
って初めて日本のことがわかりました。

インドは風土も人も生活習慣も、ものの見方も、すべてが日本と異
なっています。

そういうところに行って初めて、風土ひとつとっても、日本という
国がいかに恵まれた国なのかということも実感することができまし
た。

四季があり、緑があり、温泉があり、四季折々の果物や野菜が取れ
る風土は、本当に恵まれています。

「日本の常識は世界の非常識」という言葉がありますが、そういう
こともよくわかるようになります。

日本人は「だます人は悪い」と思ってしまいますが、世界の多くの
国では「だまされる人が悪い」というほうが多数を占めるようです。

気づきはその両方に気づいているということです。
「気づき」はそのどちらにも巻き込まれることはなく、コインの裏
にも表にも気づいて、観ているのです。

弁栄聖人は、「この宇宙は、神が自分自身を見るために創りだした
のだ」と言ったそうですが、この人間も、神が自分自身を知るため
に創りだしたのかもしれないですね。

カラーローズということを通して、そこからさまざまな世界が広が
っていきますね。

それでは、ぱりさんのオーラソーマ、カラーローズの世界をお楽し
みください。

                           尚 記


       ………○…………○…………○………


ときどき、幕あいに顔を出す、「オーラソーマ」をちょっと部外者
的な立場から眺めてみる【ぱりさん】シリーズです。^^;

オーラソーマのカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てて、その内部的なダイナミクスを連想して楽しんでいます。

ちょっと理屈っぽいですが、常識だけでお付き合いいただければ、
案外、面白がっていただけるかもしれません。

このシリーズでは、「カラーローズ」は内部に要素間の動的力学を
内蔵した“人間心理”の曼荼羅と見立てたのでした。

「カラーローズ」のなかの色々な位置は、それぞれ人間のさまざま
な志に由来する、さまざまな“人間心理”を表す位置でした。

そして前回、人間は“客観的な世界”を対象にして、それを基準に
生きているわけではないことを確認したのでしたね。

というのは同じ一つの自然現象を眺めても、人間の思いはけっして
万人が同じではなく、一人ひとりの反応は異なるからです。

自然現象でさえそうですから、ましてや社会的現象となれば、それ
に対する判断や経験は、一人ひとりで異なるのは当然です。

毎日の新聞の社会面をにぎわす出来事も、それに関係した当事者ひ
とり一人に、まったく異なる経験として記憶されたことでしょう。

個々人の“ふるまい”は、「DNA」と「条件づけ」の組み合わせ
によって厳密に規定されているとも言えます。

誰にもそのように振る舞う妥当な理由があって、つまりは誰もがそ
のようにしか振る舞えないわけです。

誰もが自分の周辺で起こることを、自分のそれまでの体験から作ら
れた連想野で判断し、そのような体験として記憶します。

過去の記憶は、未来への想像を限定し誘導していきます。

人間はそのように“過去の記憶”と“未来の想像”を往復しながら、
絶えず浮上してくる想念に対応して生きているわけですよね。

それがわれわれ人間が生きている世界でした。

その世界を高い空から鳥瞰している者がいたら、きっと人間が生き
ている世界を“人間心理の世界”と評したかもしれません。

人間は“客観的な世界”に生きているわけではない、と言ったのは
その意味でしたね。

そして、オーラソーマの「カラーローズ」とは、その“人間心理”
のパノラマであり曼荼羅だったわけです。

またここではカラーローズを“全人間心理のカラーインデックス”
に見立てていました。

そこでは個々の色彩はすべて何らかの“人間心理”の索引となって
いて、個々の“彩り”が対応する“人間心理”を表しています。

しかもそれぞれの“彩り”が、他の“彩り”とどのような関係にあ
るかまで、一目瞭然でわかるパノラマ索引だったのです。

「ブルー」はどんな波乱も存在しないと知る者の平安と明晰性を、
「イエロー」は個の体験を期待する嬉々とした子供のような喜びを、
「レッド」は絶対に自らを貫きたい情熱を表す、というように。

「カラーローズ」は全面、そんな個々の“人間心理”を表す色彩に
よって覆われています。

そこまではわかりましたが、ところで、ではいったい「誰」がこの
“彩り”を見ているのでしょうか? (?_?)

「ブルー」は「ブルー」を見ているのでしょうか?

「イエロー」には「ブルー」が見えるのでしょうか?

「レッド」は「レッド」でいて「レッド」が見えるでしょうか?

前回は「カラーローズ」が映しだしている“人間心理の世界”は、
いったい「誰の表現なのか?」と問いました。

続いて今回は、いったい「誰」がこの“彩り”を見ているのか(?_?)
と問うてみたいと思います。

というのも、「ブルー」や「イエロー」「レッド」といった個々の
“彩り”は、多様性を表現するための“彩り”だと思うのです。

それは多様性のなかの位置を表現したら、それで精一杯なのでは?

それを見ることまではできないんじゃないでしょうか。

われわれだって、完全に怒り心頭に発していたら、自分が怒ってい
ることを知りえないはずです。

完全に泥酔していたら自分が酔っているのはわからないでしょう。

酔いがわかるのは、酔っていない“何か”だけです。

「ブルー」だったら「ブルー」は見えない。

「イエロー」には他の位置の「ブルー」が見えるかもしれません。

「レッド」は「レッド」でいては「レッド」は見えないでしょう。

でも、こういうことは言えるかもしれません。

「ブルー」には「ブルー」は見えないけれども、「ブルー」風味の
「イエロー」や「レッド」は見えるかもしれない。

「イエロー」には「イエロー」は見えないけれども、「イエロー」
風味の「ブルー」や「レッド」は見えるかもしれない。

「レッド」には「レッド」は見えないけれども、「レッド」風味の
「ブルー」や「イエロー」は見えるかもしれない、と。

でも、それは正確に言うと、じつは“彩り”には“彩り”は見えな
いということだと思うのです。

“彩り”が見ていると思っているのは、“彩り”のなかの“彩り”
ではない“何か”が見ているものの反映ではないでしょうか。

厳密には上の表現は、「ブルー」には「ブルー」風味の「イエロー」
や「レッド」が見える気がするかもしれない、ということです。

でもそれなら、“彩り”を見ているのは「誰」なのか? (@_@)

それは……、“彩り”ではない「何か」だと思います。

水彩画は、“水”に“絵の具の色”を溶いて描きますよね。

どんなに“絵の具の色”を混ぜて工夫して色を出しても、“水”そ
のものの色を創ることはできないでしょう。

その“水”の立場なら、すべての“絵の具の色”を知ることができ
るかもしれません。

その水彩画の“水”に当たるものがあるんじゃないでしょうか。

それが個々の“彩り”のゲームを見ているのでは……。

あるいはさまざまな映画作品を映しだしながら、どんなドラマにも
完全に無縁な映画のスクリーンのようなものがあるのでは。

オーラソーマではよく、光は意識です、と言います。

その意味の意識は、「気づき」と言ってもいいかもしれません。

この「気づき」が“彩り”を見ているのではないでしょうか。

ところで、これまで“彩り”と表現してきたのは「カラーローズ」
のなかの“人間心理”の位置のことでした。

「カラーローズ」は原理的には、“全人間心理”の位置を包含して
いるはずです。

これまで、人間が生きている世界は“人間心理”の世界だ、と言っ
てきました。

それなら、われわれ人間が“自分”だと思っているものは、すべて
この「カラーローズ」のなかに凝縮して反映されているはずです。

もちろん人間は、四六時中同じ情調でいるわけではないので、この
「カラーローズ」のなかのある範囲を搖動しているでしょうね。

「カラーローズ」のなかの自分が住み慣れた領域を、搖動しながら
生きているのでしょう。

でも、朝目覚めてからの夜寝るまでの、すべての生活時間は、この
「カラーローズ」のなかのどこかの位置にあることでしょう。

“人間心理”として浮上するさまざまの想念に焦点を合わせて。

でもその想念が、想念自体を識別できるとは思えませんよね。(?_?)

……。(@_@)

では、“自分”が見ているのだと思ってきた、その“自分”って、
いったい“誰”のことなんでしょう? (?_?)

それは“自分の思い”であるその“思い”ではありえません。

人間が“自分”で見ていると思ってきたものは、じつはすべてこの
「気づき」が見ていたものなのでは。(@_@)

われわれは“自分”が“気づいて”いるのだと思ってきました。

“自分”が気づいている、これは“自分”の“気づき”だと。

でももしかして、じつは“気づき”のなかに“自分”という“思い”
つまり“彩り”が、浮かんでいるのではないでしょうか。

(*^_^*)

わからないことばかりですね。

「カラーローズ」を見ていると、いろんな連想が出てきます。

「カラーローズ」って、本当に素晴らしいですね。(^^)/

次に機会があったら、また「カラーローズ」を別の視点から眺めて、
勝手な連想を楽しませていただくかもしれません。

いつもお断りしているとおり、これは「オーラソーマ」で認定され
た見解ではありません。

「オーラソーマ」がゲーテの色彩論から引き継いだ「カラーローズ」
という素晴らしいツールに触発された、まったく自由な立場からの
連想です。

お付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

                          pari 記


       ………○…………○…………○………

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